文/濱田浩一郎

織田信長公像。

信長はなぜ関所を廃止しようとしたのか?

大河ドラマ「豊臣兄弟!」においては小栗旬さんが織田信長を演じています。信長は経済感覚に優れた戦国武将と評されることがありますが、では信長の交通政策とはどのようなものだったのでしょうか。信長の交通政策で注目すべきは関所の撤廃です。ここでは信長と関所について見ていきます。

信長は永禄11年(1568)に足利義昭を奉じて上洛しますが、その年に関所を撤廃しているのです。では信長はなぜ関所の撤廃を推進したのでしょうか。信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』には次のようにあります。「天下のため、または街道を往来する旅人を憐んで領国に数多ある関所の税を停止した」と。関所が撤廃される以前は人々は関所を通る度に通行税を払う必要がありました。それは商人も同じでしたので、商品の値段も自然と高値になっていたのです。つまり関所は商品の流通を妨げるものとなっていたのでした。その弊害を知っていた信長は領国(尾張・美濃・南近江)の関所を撤廃したのです。この信長の政策に都や地方の人々は大変感謝し「満足」したとのこと。

信長の交通政策の限界?

しかしこの時の信長の関所撤廃は前述したように彼の領国に限定されたものでした。例えば都には「京都七口」(長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、鳥羽口、丹波口)に関所が残存していたのです。七口の関は、京都の入り口に置かれた皇室領の関所でした。この関所は信長が死ぬ年(1582年)まで残っており、豊臣秀吉の時代になり全廃しています。こうしたことから信長の関所撤廃は徹底していなかったと評されることもあります。それでも信長は一歩一歩と関所の廃止に向けて動いてはいました。永禄12年(1569)、信長は伊勢国の北畠氏を攻め、その居城・大河内城(三重県松阪市)を攻囲。北畠氏を下していますが、その後で伊勢国の関所の廃止令を出しているのです。伊勢国の関所もまた旅人の往来の悩み(煩い)となっていました(『信長公記』)。そこで信長は「末代に至るまで関所を廃し、今後、関銭(通行税)をとってはならぬ」と厳命したのです。

ちなみに伊勢国の関所撤廃に関しては『信長記』にも記述されています。少々紛らわしいですが『信長記』と『信長公記』は別の書物です。『信長公記』とは前述したように信長の家臣・太田牛一が記したもので、江戸時代初期に成立したもの。一方『信長記』は江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が著したものです(甫庵は秀吉の一代記『太閤記』の著者としても有名です)。『信長公記』と書名が混同しやすいので『信長記』のことを『甫庵信長記』と呼称することもあります。『甫庵信長記』は創作も多く『信長公記』より史料的価値は大分下がると言われているのですが、面白い逸話が載っていることも事実です。では伊勢国の関所撤廃に関して『甫庵信長記』はどのように記述しているのでしょう。

伊勢国を平定した信長は「政道を執り行う」といって家臣を招集します。そして「伊勢国の関役所を悉く停止しようと思うのだが如何」と家臣に問うのでした。更に信長は関所が「往来の費えのみならず、参宮(伊勢神宮参拝)の妨げになっている。万民を安んずることは国家を保つ者の楽しみとするところである。身のため家のため武勇に励んだのでは長く世を治めることはできない。国のため天下万民のため武勇に励めば永く栄耀を保てるであろう」と語るのです。要は我が身・我が家のために政治を行うのではなく、天下万民のための政治を行うべしと宣言しているのです。そのために関所を廃止すると信長は語っているわけですが、この言葉を聞いて家臣らは「天下をよく治めるのは信長殿だ」と囁いたとされます。こうした描写は創作でしょうが『信長公記』にも信長は「天下のため、または街道を往来する旅人を憐んで領国に数多ある関所の税を停止した」とありますので「天下のため」「民衆のため」に関所を廃止したということは間違いではないでしょう。

関所の廃止は、通行税の負担を無くすことにより、通行や物資の輸送を促進させます。それは商人や運送業者の利益となり、最終的には都市の繁栄に繋がるのです。その後、信長は支配地域を拡大していきますが、天正3年(1575)9月にはいわゆる「越前国掟」を定めています。これは9ヶ条からなり、その中には「我々を崇め敬い、その後ろ影を見たとしても疎かに思ってはならない」など信長への絶対的な忠誠を要求する一文もあります。信長を崇敬すれば「侍としての恩恵が生じ、末長く仕えることができる」というのでした。それはさておき「越前国掟」の5ヶ条目には関所に関する一文があります。信長の支配する国々では全ての関所を廃止しているので、越前国も同様にせよとの命令が書かれているのです。

さて時は流れて天正10年(1582)、信長は信濃・甲斐に侵攻し、武田勝頼を滅亡に追い込みますが、この時も信長は両国に対し法令を出し「関所において税を徴収してはならない」と命じています。信長はこの年の6月に京都本能寺において家臣・明智光秀に討たれますが、死の直前まで関所の撤廃を推し進めていたのです。信長の関所撤廃令は「不徹底」と評価されることもありますが、領国において関所を撤廃していったこと、その姿勢は高評価して良いでしょう。信長が天下を統一していたら、おそらく全国の関所が撤廃されたと思われます。

【主要参考文献一覧】
・脇田修『織田信長 中世最後の覇者』(中央公論社、1987年)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)

文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。

 

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