
ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)も第40回、前回「身上半減」という処分がくだされた蔦屋重三郎(演・横浜流星)の失地回復の日々が描かれました。恋川春町(演・岡山天音)が自裁し、朋三堂喜三二(演・尾美としのり)が筆を折り、大田南畝(演・桐谷健太)もかつての勢いを失い、北尾政演=山東京伝(演・古川雄大)に至っては、蔦重の耕書堂から刊行した「教訓読本」と題した本を「好色本」と断罪され、「手鎖50日」という処分を受けます。
編集者A(以下A):「暗夜・闇夜」の蔦重界隈ということになりますが、こうした苦境のときに、ニューフェイスがどこからともなくやってくるのですから、世の中捨てたものではありません。
I:蔦重と鶴屋(演・風間俊介)が政演を口説きに行きます。そこで、滝沢瑣吉(さきち/演・津田健次郎)と出会います。後の曲亭(滝沢)馬琴ですね。
A:先走ってしまいますが、曲亭馬琴といえば、後に『南総里見八犬伝』などで、大人気作家の地位をほしいままにする人物。犬江、犬川、犬田、犬坂、犬村、犬塚、犬飼、犬山という「犬」の字を冠した姓を持つ8人の「犬士」が活躍する『南総里見八犬伝』は、後の世の多くの作品に影響を与えているといいます。個人的には、犬の字を冠した姓というとで、昭和の長編推理小説にして映画も話題になった『犬神家の一族』や野球漫画の金字塔『ドカベン』の高知県代表土佐丸高校の「犬飼兄弟」や眼帯をした「犬神投手」が想起されてしまうのですが、ついつい源流は『南総里見八犬伝』と思ってしまうんですよね。
I:よれよれの身なりなのに偉そう。深川の大水で家がやられ門人というか友人の政演宅に世話になっている。そんな人物が後年大作家になると思うと、感慨深いですよね。
A:どんな大人物でも若いころがあります。大作家がまだ何者でもない時代の何気ないエピソード。そういう群像劇を描いてくれるのはありがたいです。そして、お笑いコンビ「野生爆弾」のくっきー!さんが演じているのが勝川春朗。
I:後の葛飾北斎ですね! 春朗が滝沢の作品を「屁以下」と揶揄して取っ組み合いの喧嘩になる。なんだか、わくわくする場面になりました。
A:演者発表の際に、くっきー!さんの名をみて、「?」となりましたが、オンエアをみて納得しました。ただでさえ登場人物が多い本作で、しかも後半も大詰めという展開のなかで、新たなキャラクター登場ということですから、インパクトがあった方がいいですよね。
I:初登場時は、まだ「葛飾北斎」ではないですからね。インパクト大でわかりやすかったです。馬琴と北斎は、後にタッグを組んだ初作『実語教幼稚講釈』などがありますが、出会いは最悪、みたいな設定がドラマらしくてやはりおもしろいですね。
だれもが楽しく生きたいけれど……

I:松平定信(演・井上祐貴)政権の老中のひとり、本多忠籌(ただかず/演・矢島健一)は、『どうする家康』で山田裕貴さんが演じた本多忠勝の子孫になるのですが、松平定信に発した、「人は『正しく生きたい』とは思わぬのでございます。『楽しく生きたい』のでございます」という台詞が印象的でした。「田沼時代は、楽しく生きることができたのに」っていう思いが込めれてました?
A:『べらぼう』は、現代を彷彿させるというタイムリーなセリフがいわれることがあるのですが、現代日本でも「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズで一世を風靡した民放テレビ局が、時流の変化に対応できなかったため、苦境に陥りました。時流の変化は古い人間ほど気がつかないことが多いですから、以て自戒したいですね、という場面と受け止めました。
I:とはいえ、時流を転換させた張本人である松平定信政権自体が、混迷する様子が描かれました。定信の側近の老中らからも、倹約令を取りやめ、風紀の取り締まりを緩めることを訴えはじめます。
A:定信の孤立が始まりましたね。八代将軍吉宗の孫としての矜持で、幕政を引っ張ってきたわけですが、イエスマンばかりで周囲をかためたり、事を強引に推し進めたりすると、失敗したときは得てして孤独になりがちです。
I:定信の政策は、ことごとくうまくはまらなかったような気がします。『べらぼう』を見ていると、なぜ、この松平定信政権の施政が「寛政の改革」と称されて、「江戸三大改革」として教科書に書かれているのか、不思議に思います。
A:なるほど。田沼意次の施政のほうが、改革にふさわしいのでは? という感覚ですよね。そういう議論が提起されるというのは、『べらぼう』の功績のひとつだと思います。
I:ところで、一橋治済(演・生田斗真)が葵のご紋の入った提灯を手に持つシーンがありました。
A:盗賊「葵小僧」の一団が手にしていた提灯かと思われるのですが、いったいどういうことなのでしょう。

【黄表紙の再発掘。次ページに続きます】
