文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)
アメリカで海岸に面した街にはたいてい「ピア(Pier)」と呼ばれる建造物がある。海へ長く突き出した桟橋のことである。
ピアの多くは100年以上もの歴史を持つ。もともとは海運を利用するために船の荷揚げや漁業のために造られた施設だ。建造されてからずっと木造のままで残っているピアもあるし、コンクリートで再建されたものもある。
現在のピアはその社会的な役割や意義を大きく変えている。観光資源でもあり、地元の人々が散歩や釣りを楽しむ場でもある。
旅行者にとって、ピアを歩くことは、美しい海の風景をそこから眺めるだけでなく、アメリカ人の生活や文化を身近に感じる貴重な機会にもなる。
太平洋側にも大西洋側にもピアはあるが、年間を通して温暖な気候に恵まれた南カリフォルニア一帯にはとくに多い。そのいくつかを紹介する。ロサンゼルスを挟んで南から北へ順に並べてある。
サン・クレメンテ・ピア(San Clemente Pier)

1928年に建設された木造のピアである。観光客はあまり多くなく、主に地域の人々の憩いの場として親しまれている。目の前は鉄道の駅なのでアクセスは便利だ。
周辺は小規模ながら整然とした住宅街が広がり、過度に混雑することも少ない。先端にはレストランがあり、海を眺めながら食事を楽しむことができる。
ニューポート・ビーチ・バルボア・ピア
(Newport Beach Balboa Pier)

ドラマ『The O.C.』の舞台として知られるニューポート・ビーチの先端、バルボア半島にあるピアだ。1906年に完成した歴史ある建造物である。サーフィンや釣りの名所として地元民に親しまれている。
100年以上この地で操業している名物「渡し船」、The Balboa Island Ferryのフェリー乗り場がすぐ近くにある。さらに約2キロ北にはもうひとつのピア(ニューポート・ピア)もある。こちらの方が規模は大きく、周辺にレストランやショップが多い観光スポットだ。
ハンティントン・ビーチ・ピア(Huntington Beach Pier)

1904年に最初のピアが建設され、たび重なる嵐による被害を経て、1992年に鉄筋コンクリートで再建された。全長約560メートルとカリフォルニアでも有数の長さを誇る。
サーフィンの全米オープン、マラソン大会、航空ショーなど、年間を通じてさまざまなイベントがこのピアの周りで行われている。先端の展望レストランからは雄大な太平洋を一望できる。
マンハッタン・ビーチ・ピア(Manhattan Beach Pier)

ロサンゼルス国際空港の南、約8㎞の場所にある。1920年に完成した鉄筋コンクリート製の建物で、長さは約283メートル。南カリフォルニア最古のコンクリート製ピアだ。
先端には小さな水族館「ラウンドハウス・アクアリウム(Roundhouse Aquarium)」があり、地元の子どもたちの遠足先としても利用されている。
ピアの周辺は白い砂浜が広がり、ビーチバレーが盛んだ。毎年「マンハッタン・ビーチ・オープン」が開催されている。
サンタモニカ・ピア(Santa Monica Pier)

1909年に建設されたこのピアはロサンゼルスを代表する観光スポットのひとつである。橋の上には遊園地「パシフィック・パーク」があり、夜間にライトアップされた観覧車の夜景は有名だ。
来年の2026年に100周年を迎えるルート66の最終地点であり、また映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)では主人公フォレストが北米大陸を走って横断した際に引き返した最西端地点でもある。
レストランやギフトショップも多く、つねに観光客で賑わっていると同時に、先端の広場では「海を眺めながらヨガ」などの地元民向けのイベントもよく行われている。
ベンチュラ・ピア(Ventura Pier)

カリフォルニアでも最古級の木造ピアのひとつである。1872年に完成し、かつては貨物輸送や製材業の拠点として栄えた。現在は長さ約490メートルの木橋が復元され、釣りや散歩を楽しむ地元民の憩いの場だ。
近くにはビーチサイドの遊歩道やクラフトビール醸造所などがある。周辺にはホテルも多く、観光地としての利便性も高い。
ステアンズ・ワーフ(Stearns Wharf, Santa Barbara)

アメリカのリビエラと呼ばれるサンタ・バーバラの中心地にある。鉄道駅からも徒歩10分ほどで着くことができる。
1872年に完成したカリフォルニア最古級の木造ピアで、背後のサンタ・イネズ山脈と海のコントラストが美しい。かつては港湾施設として機能していた。現在は観光用に整備され、レストランやワインバーが軒を連ねている。
文・写真 角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。










