文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)
1988年公開の映画『レイン・マン』(原題: Rain Man)のラストシーンは地中海風建築の駅舎が舞台になっている。飛行機に乗ることを怖がるレイモンド(ダスティン・ホフマン)がロサンゼルスからはるばるシンシナティまで鉄道で帰るところを、チャーリー(トム・クルーズ)が見送る場面である。
撮影に使われたサンタアナ駅(正式名称:Santa Ana Regional Transportation Center)はロサンゼルス郊外のサンタアナ市にある。大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・エンゼルスの本拠地エンゼル・スタジアムから南へ8キロほどの位置だ。北米大陸全体に鉄道網を展開するアムトラック社のカリフォルニア州内太平洋沿岸に沿った路線(パシフィック・サーフライナー)上にある。
サンタアナ駅は堂々とした風格があり、いかにも歴史を感じさせる駅舎であるが、実際には映画公開のわずか3年前、1985年に開設されたばかりの新しい駅だった。それらしいムードを演出しているものの、歴史的な建造物ではまったくない。
古き良き時代を演出するリバイバル建築と鉄道システム
サンタアナ駅に限らず、アムトラックの駅舎には、それがたとえ新しい建物であっても、古い時代を思わせるデザインのリバイバル風建築が多く用いられている。重々しい手動のドアを開けて建物内に入ると、高い天井の待合室には木製のベンチだけが並んでいる。そんな雰囲気だ。
日本の駅のような改札口も高いプラットホームもないことが多い。発車の前に車掌が大声で「All aboard!」と叫び、乗客は地面からステップを登って乗車する。席に座ってしばらくすると、車掌が検札に回ってくる。『レイン・マン』公開当時でさえノスタルジアを感じさせたシーンであるが、現在でもアムトラックに乗ればこれと同じ体験をすることができる。
それでもいったん列車に乗り込んでしまえば、客車内の設備は悪くない。シートはゆったりとしているし、無料Wi‐Fiでインターネットに接続だってできる。満員になることは滅多にないので、のんびりと車窓からの眺めを楽しめる。
もっとも、ある種の人にとっては残念なことがある。アメリカの社会事情を反映して、客車内にアルコールを持ち込むことは禁止されているのだ。その代わり、昔懐かしい「食堂車」があり、そこまで行けばビールを買い求めることはできる。この辺も、わが国が誇る新幹線の旅とは大きく異なるところだ。
雰囲気を楽しむ旅のスタイル
そもそも現在のアメリカで鉄道を利用する旅はけっして一般的ではない。時間と費用の両面で便利ではないからだ。
パシフィック・サーフライナー線の公式ウェブサイト(https://www.pacificsurfliner.com/ )によると、南カリフォルニアを代表する2大都市のロサンゼルスとサンディエゴ間でも1日に片方向5、6便しか運行していないし、所要時間は3時間半ほどとなっている。高速道路をドライブすれば約2時間の距離であるし、ましてや飛行機なら1時間もかからない。
費用もアムトラックのそれが自動車や空の旅に比べて格安というわけでもない。同ウェブサイトでロサンゼルスとサンディエゴ間の片道料金を調べてみると、一般的な自由席にあたるコーチ料金は36ドル(約4,700円)、指定席あるいはグリーン席にあたるビジネスクラスでは56ドル(約7,400円)とある。航空料金よりはやや安いかもしれないが、間違いなく自動車のガソリン代よりは高くつく。2人以上で1台の車に同乗するなら尚更だ。ちなみにアメリカの高速道路のほとんどは無料であり、ロサンゼルスとサンディエゴ間もそうである。
このように、カリフォルニア州内のごく近距離ですら、鉄道での移動は便利でも経済的でもない。もしレイモンドのようにロサンゼルスから北米大陸を横断してシンシナティまで鉄道で行こうとすればどうなるか。アムトラックの公式ウェブサイト(https://www.amtrak.com/ )で調べてみると、乗り換え4回を含む合計所要時間は77時間ということだ。まずはカリフォルニア内を北上してサンタバーバラ駅まで数時間、そこから連絡バスで数時間のエメリービルで大陸横断列車に乗り換え、丸2日以上かけてシカゴに到着後、さらに別の列車に乗り換えて8時間かけてシンシナティに辿り着く、という長大な旅である。想像するだけで過酷な話だがそれだけではない。ここでの片道料金は500ドル程度(約68,700円)、ただしシカゴまでの2日間で寝台客室を使うと1,000ドル(約134,000円)を越えるとある。よほどのハイシーズンでもない限り、どう考えても往復の航空料金の方がはるかに安い。
それでもあえて鉄道での旅を選ぶ人はアメリカにも一定数はいる。時間に追われる人やコストパフォーマンスを気にする人には向かないかもしれないが、移動そのものを旅として楽しむには、やはり鉄道には他の移動手段では求め難い魅力があると感じる人がいるのだろう。レトロな雰囲気を醸し出す駅舎もそのひとつに違いない。
「サンタアナ駅」
住所:1000 E Santa Ana Blvd, Santa Ana, CA 92701
電話:(800) 872-7245
サンタアナ市公式ウェブサイト内の駅紹介ページ:https://www.santa-ana.org/santa-ana-regional-transportation-center/
文・角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。