源重之(みなもとのしげゆき)は、平安時代中期の歌人です。清和天皇のひ孫にあたる高貴な生まれでありながら、官僚としての出世には恵まれなかったといわれています。冷泉天皇の皇太子時代、源重之は「帯刀先生」(たちはきせんじょう)という東宮(とうぐう)警備の長に就任しますが、その後は官職に恵まれず地方官を歴任し、陸奥(現在の東北地方)などにも赴きました。
都での華やかな生活とは裏腹に、地方での暮らしや、ままならない自身の境遇が、彼の歌に独特の深みを与えているのかもしれません。最終的には陸奥で生涯を閉じています。
和歌の才能は素晴らしく、三十六歌仙の一人にも数えられるほど。彼の歌は、実直で力強い表現が特徴とされています。また、勅撰和歌集への入集数は60首以上にのぼります。冷泉天皇の帯刀先生を務めていた際には、百首の歌を集めた『重之百首』を献上し、さらに、家集となる『重之集』(しげゆきしゅう)も手がけました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
源重之の百人一首「風をいたみ~」の全文と現代語訳
源重之が詠んだ有名な和歌は?
源重之、ゆかりの地
最後に
源重之の百人一首「風をいたみ~」の全文と現代語訳
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな
【現代語訳】
風がとても激しいので、岩に打ちつける波が(岩は少しも動じず)自分だけが砕け散っている。それと同じように、私の恋も、あの人には全く通じず、私だけが心も体も砕けるほどに物思いに耽っている今日この頃だなあ。
『小倉百人一首』48番、『詞花集』211番に収められています。歌の技法として注目すべきは「序詞」の巧みな使用です。上の句の「風をいたみ 岩うつ波の」は、「おのれのみくだけて」を導く序詞となっています。「いたみ」は「甚だしい、激しい」という意味で、現代語の「痛み」とは異なります。
激しい風によって岩に打ち付けられ、砕け散る波。その光景に「おのれのみ(自分だけが)」と、一方的で報われない恋の苦しみを重ねています。「くだけてものを思ふ」という下の句は、心が粉々に砕けてしまうほどの辛い物思いを表しており、読者の心に強く迫ります。
決して叶わぬと知りながらも、抑えきれない情熱。そのやるせなさと苦しみが、荒々しい海の情景を通して、見事に表現されているのです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
源重之が詠んだ有名な和歌は?
三十六歌仙の一人である源重之は多くの歌を残しています。その中から二首をご紹介します。

松島や 雄島の磯に あさりせし 海人の袖こそ かくは濡れしか
【現代語訳】
松島の雄島の磯で漁をした海女の袖くらいです、私の袖のようにこれ程ひどく濡れた袖といったら。
『後拾遺集』827番に収められています。陸奥にいた頃に詠んだとされるこの歌は、美しい松島の風景と、涙に濡れる自身の袖を対比させています。旅先での孤独や望郷の念が伝わってくるようです。
吉野山 みねのしら雪 いつ消えて 今朝は霞の たちかはるらむ
【現代語訳】
吉野山の嶺に積もった雪はいつのまに消えたのだろう。今朝は霞に取って代わられている。
『拾遺集』4番に収められています。詞書には「冷泉院東宮におはしましける時、歌たてまつれとおほせられければ」とあります。重之が帯刀舎人(たちとねり)として仕えていた時、皇太子憲平親王(のちの冷泉天皇)に奉った百首歌の最初の一首です。
源重之、ゆかりの地
源重之は、その生涯で様々な土地を訪れました。特に、陸奥守として赴任した東北地方には、彼の歌の舞台となった場所が残っています。
宮城県・松島
先ほど紹介した歌の舞台です。日本三景の一つである松島の美しい風景を前に、重之がどんな思いで歌を詠んだのか、想像しながら訪れてみるのも一興でしょう。
最後に
源重之の「風をいたみ~」は、単なる恋の歌を超えて、人生の孤独感や心の葛藤を普遍的に歌った作品として、現代の私たちにも深く響きます。激しい風に打たれて砕ける波のように、人は時として一人で悩み、心を痛めることがあります。そんな時、千年前の歌人もまた同じような思いを抱いていたのだと知ることで、私たちは慰めを得ることができるのではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
