文・絵/牧野良幸

歌手で俳優のいしだあゆみさんが3月に亡くなられた。

昔はテレビに出ているスターと、それを見ている自分とは年齢が離れていると思っていたけれど、半世紀がたった今ではもう同世代なのだと思う。最近のスターの訃報は自分のことのように悲しい。

いしだあゆみさんもテレビでよく見たスターだ。もちろん最初は「ブルー・ライト・ヨコハマ」。

坂本九や加山雄三あたりから始まり、GSブームを経てひとかどの歌謡曲通になっていた僕でも、いしだあゆみの歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」はかなりインパクトがあった。岡崎で暮らす小学生にも横浜のネオンが頭に浮かんだほどである。

調べてみるとレコードが発売されたのは1968年(昭和43年)の12月らしい。この1968年12月は僕にとっても事件があった。冬休み、僕の家にカラーテレビが来たのだ。建て替えていた家が年末に完成し、新築にあわせて親が普及の始まったばかりのカラーテレビを買ったのだ(日立のキドカラー)。

それまで白黒だった歌番組に“色が着く”というのは、とてつもない衝撃だった。今思うと「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみの艶っぽさは、カラーテレビで見たせいかもしれない。

もちろんカラーテレビでなくとも、いしだあゆみの輝きは変わらなかっただろう。その輝きは映画の活動でも変わらない。

今回取り上げる『火宅の人』も、いしだあゆみがとても印象的である。『火宅の人』は1986年公開の映画。原作は檀一雄の同名の小説である。監督は深作欣二。

この映画でいしだあゆみが演じるのは、小説家桂一雄(緒形拳)の妻ヨリ子である。一雄は若い劇団員恵子(原田美枝子)の面倒を長い間見ていたが、ある日から愛人にする。

一雄が恵子と関係を持ったのは、青森での太宰治の文学碑の除幕式に恵子と出席した時である。一雄は自宅に帰るや妻に言う。

「ヨリ子、僕は恵さんと事を起こしたからね。それだけは言っておきます」

いきなりこの告白に、令和の人間ならびっくりしてしまうところだが、

「知ってます」とヨリ子。

「どうして?」

「あなたのなさっていることは、何でも分かるんです」

と言って笑みを浮かべる。

ヨリ子は夫の不実にもおおらかな女性と思うかもしれないが、そうではない。ヨリ子は翌日子どもたちを置いて家を出て行ってしまうのだ。

ここからよくある夫婦げんかの話が始まるのかな、と思うわけだが、なにせ太宰治や坂口安吾と同じく無頼派と呼ばれた檀一雄が私小説のかたちをとって書いた小説が原作なので、現代から見るとかなりインパクトがある。

一雄は妻が出ていくや、自分もすぐに子どもたちをお手伝いさんに任せて、ホテル住まいを始めるのだ。もちろん愛人の恵子と一緒に。

ヨリ子も後日あっさり家に戻ってくる。夫はいなくとも、生活費をもらいながら子どもたちと暮らすことにしたのだ。

こう書くと映画は暗くトゲトゲしい雰囲気かと思うかもしれないが、全然そんなことはない。原作のどこかユーモラスな語り口が映画にもある。

とは言っても家族の崩壊もいとわない夫の話だから、妻のヨリ子は不機嫌な顔か、感情を表に出さないでクールな場面が多い。いしだあゆみほど適役な女優はいないと思う。

反面、時に笑顔を見せるヨリ子もいて、その瞬間はいしだあゆみの顔から多幸感があふれる。今回のイラストに描いた場面もそれだ。

これは手にけがをした一雄がペンを持てないために、小説の締切に間に合わず、ヨリ子を電話で呼び出して口述筆記をさせるシーンである。

深夜、入稿ギリギリの印刷所の校正室。

「……こうして私は今、別居中の細君の手を借りてまで臆面もなく、浮気小説を書き続けている……」

ヨリ子は一雄の言葉を原稿用紙に書きとめていく。

「私の周囲の人物たちは、罪なくして私の愚行の巻きぞえを食い、傷ついているのである」

一雄の小説は私小説だから、愛人の描写も出てくる。そこではヨリ子の顔が曇り、冷たい視線を夫に向ける。

が自分についての話になると、ペンを走らせながら笑みを浮かべる。

「わが細君も、一時はつらいつらいと10日余りも寝込んだものだった……」

「嘘ですー、私そんなこと言いません、それに寝込んだのは5日です」とニッコリ。

「ま、それ、小説の誇張ですから」と一雄。

「すみません」

「続けます」

「はい」

こんなやりとりが可笑しい。なにより、いしだあゆみの笑顔がまぶしい。

これを見ると、ヨリ子の一雄への感情は憎しみだけではないと気づく。一雄にしてみても、愛人と暮らしていてもヨリ子を頼りにしているのだから同じだ。結局のところ夫婦間の愛憎は二人にしか分からないのだろう。

映画には出てこないが、原作には個人的にいしだあゆみで見たかった場面がある。

一雄と細君が無免許なのに、スクーターを二人乗りして知人の家にドライブする話だ。途中で運転を交代して、細君がハンドルを取ると、一雄はシートのうしろに移り細君の体にしがみつく。

いしだあゆみが緒形拳を後ろに乗せてスクーターを走らせるシーンがあったら、さぞ絵になったと思う。しかし映画としては、一雄が葉子(松坂慶子)という女と九州を放浪する場面や、恵子との破局も描いていかなければならない。長い原作からどこを映像化するかは難しいところだろう。

スクーターは出てこないが、そのかわりヨリ子が自転車に乗って走るシーンがある。映画のラスト、夫の情事が終わったことに気づいたのだろう、自転車を走らせるヨリ子の表情は生き生きとしていて華さえある。この笑顔に「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ういしだあゆみの顔が重なるのは僕だけだろうか。あらためていしだあゆみさんのご冥福をお祈りします。

【今日の面白すぎる日本映画】
『火宅の人』
1986年
上映時間:132分
監督:深作欣二
脚本:深作欣二、神波史男
出演者:いしだあゆみ、緒形拳、松坂慶子、原田美枝子、真田広之、岡田裕介、檀ふみほか
音楽:井上堯之

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

『オーディオ小僧のアナログ放浪記』
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