取材・文/沢木文
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
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東京都23区内に住む大谷綾子さん(仮名・75歳)の“自慢のひとり息子(50歳)”は10年間の引きこもりを続けている。
【これまでの経緯は前編で】
夫がいると、家庭に争いが生まれる
その頃から3年ほど、夫はほとんど帰宅しなくなったという。
「週に1~2回帰ってきて、背広を替えて洗い物を置いて“あちら”の家に行く。けれど、その方が好都合でもあったんです。夫が家にいると家庭に争いが生まれる。夫が帰ってきたときは、私は息子と息子の部屋で息を殺して出ていくのを待っていました。思えば、息子の中学校の成績が良かったのは、夫が家におらず、いい環境で勉強に集中できたからかもしれない。夫と3年間口をきいてませんでしたから」
しかし、高校時代に夫は浮気相手と別れたのか、家に帰ってきてしまった。それゆえに息子は大学を浪人した。しかし、母と息子の結びつきが強いのに、なぜ東京の大学に進学したのだろうか。
「夫は“ユウ(息子)は親離れしようとしているんだ”と言う。でもたぶん、ずっとやりたいと言っていた、マスコミの仕事がしたかったんだと思います」
大学を卒業したが、就職氷河期だった。息子が就職できたのは、食品製造会社の営業職だった。
「連日、不採用が続き、心もボロボロだったと思います。息子が就活のときに東京に何度も行こうとしたのですが、主人は“ほっておけ”と言う。息子はあのときに、間違った方向に進んでいったんだと思うんです」
食品製造会社を半年で辞め、その後は職を転々としていたという。
「テレビ局のADなんかもやったみたいですけど、眠れない、風呂に入れない、パワハラの連続で辞めたようでした。その後は、出版社や新聞社の契約社員になったみたいだけれど、いじめみたいに終わりがない仕事を強要されて退職。30歳のとき、息子は腹を決めて飲食店の雇われ店長になりました。20日連続勤務などが当たり前だと言い、それはやめさせました。自殺でもされたら困りますから」
最も長かったのは、化粧品関連会社。31歳から7年間勤務した。在庫管理をしていたという。
「ある日、会社に行ったら、オフィスが閉鎖させていたそうです。事実上の倒産です。このときの仕事仲間が別の健康食品関連会社を立ち上げて、息子はそこに誘われた。部長の肩書を与えられたとうれしそうにしていました」
しかし、実際はかなりグレーに近い商法で、健康食品を売りつける仕事だったという。
【震災直後に「お金を払ってください」と督促電話をかける仕事に息子の心は折れた……次ページに続きます】