はじめに-礒田湖龍斎とはどのような人物だったのか

礒田湖龍斎(いそだ・こりゅうさい)は、江戸中期に活躍した浮世絵師です。江戸・小川町の旗本土屋家の浪人でありながら、その画才によって浮世絵界に名を馳せました。湖龍斎は美人画や柱絵、さらには肉筆画など、多岐にわたる分野で活躍し、その独特な作風で人気を集めました。

そんな礒田湖龍斎ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、蔦重初期の錦絵を手がけた絵師(演:鉄拳)として描かれます。

‎礒田湖龍斎
礒田湖龍斎

目次
はじめに-礒田湖龍斎とはどのような人物だったのか
礒田湖龍斎が生きた時代
礒田湖龍斎の生涯と主な出来事
まとめ

礒田湖龍斎が生きた時代

礒田湖龍斎が活躍したのは、18世紀後半、江戸時代中期にあたります。この時代、日本は平和が続く中で、町人文化が花開きました。浮世絵は、町人の日常や遊里の風俗を描くことで、庶民の娯楽として広まります。湖龍斎の活躍時期には、錦絵が発展し、美人画や役者絵などが人気を博していました。

礒田湖龍斎の生涯と主な出来事

礒田湖龍斎は生没年は不詳です。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

初期|鈴木春信の影響を受けた時代

礒田湖龍斎は、名は正勝、通称・庄兵衛といいました。江戸小川町土屋家の浪人でしたが、一説には浮世絵師の西村重長(しげなが)に師事したといわれています。その後、明和初年から作画に入り、錦絵の成立に中心的な役割を果たした鈴木春信(はるのぶ)の影響を強く受けました。

明和年間(1764~1772)には「春広」の画名を使用し、春信風の美人画を描きました。当時の作品には、軽やかで華やかな画風が見られます。

独自の作風を確立

安永年間(1772~1781)になると、湖龍斎は重厚感のある独自の美人画を確立。彼の錦絵は構図の工夫や色彩の使い方が優れ、柱絵の名手としても知られるようになります。特に『雛形若菜の初模様(ひながたわかなのはつもよう)』は、湖龍斎の代表作として知られ、100枚を超える大判サイズの錦絵シリーズを定着させました。なお、この版元は、西村屋与八(にしむらや・よはち)です。

‎礒田湖龍斎
『風流略源氏 ほたる』著者:湖竜斎
(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1302171/1/1 をトリミングして作成

晩年|肉筆画への転身

安永末頃、湖龍斎は法橋(ほっきょう、絵師などに与えられた称号)位を授与されました。この頃から版画からは離れ、肉筆画に専念。「法橋湖龍斎」の落款がある美人画は数多く現存しており、当時の画壇で高い評価を受けていたことを物語ります。

文化4年(1807)には茶人・川上不白(ふはく)が賛を寄せた『朝顔に子供』という作品も残しています。

まとめ

礒田湖龍斎は、浮世絵が発展する江戸時代中期に、美人画や柱絵、肉筆画の分野で活躍した名匠です。鈴木春信の影響を受けながらも独自の作風を築き、多くの名作を生み出しました。

特に『雛形若菜の初模様』は錦絵の歴史において重要な位置を占めます。湖竜斎の芸術は、江戸の町人文化を象徴するものであり、浮世絵史に輝く存在といえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『朝日日本歴史人物辞典』(朝日新聞社)

 

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