取材・文/鈴木拓也
由緒ある神社仏閣めぐり好きが高じて、京都へ引っ越した。
時間を作っては方々の寺社を訪れているが、それ以外の京都に関する事柄はさっぱり。
なので、「京都には仁丹の町名看板がたくさんある」と知らされてもピンとこない。
ややあって、「あぁ、そういえば、そんな看板があったような……」と、おぼろに記憶が浮かぶ。
約540枚が今も京都に残る
それは、路地裏の家屋にかかった古びた縦長看板。手書きの住所表記の上に、カイゼル髭の紳士の顔が描かれ、直下に「仁丹」の2文字が添えられている。
この町名看板は、1893年に大阪で創業した森下仁丹が設置したもの。1910年から、郵便配達員などの役に立つよう、宣伝を兼ねて掲げ始めたという。当初は、大阪、東京、京都、名古屋といった都市部に設置。やがて津々浦々に範囲を広げた。
現在では、残っているものの大半は京都に限られているのは、戦災を免れたおかげらしい。それでも、その数は年々減り続け、今も「現役」なのは約540枚。これらを、ある種の文化財として保存しようという取り組みが、「愛好家」のもとでなされている。
こうした、知れば知るほど興味がわく仁丹の町名看板について、1冊の書籍を上梓したのは、樺山聡(かばやまさとる)さんと愛好家でつくる団体「京都仁丹樂會(がっかい)」。書名は、『京都を歩けば「仁丹」にあたる 町名看板の迷宮案内』(青幻舎)と、街歩きのガイドブックの体裁だ。
木製の看板は極めて少ない「超レア版」
「京都新聞」のデジタルメディア「THE KYOTO」ライターで文化部編集委員を務める樺山さんが、この看板に注目したのは2010年冬のこと。
記事になるかといろいろ調べたところ、「愛好家がかなりいる」ことが判明。その何人かに話を聞いて記事にまとめたのがきっかけとなり、「京都仁丹樂會」が結成されたというから奥が深い。
本書は、そうしたディープな世界へ我々をいざなってくれる。
冒頭で紹介されるのは、綾小路(あやのこうじ)通界隈の看板。主要駅から近く、狭いエリアに8枚も残存していることから初心者向けのスポットだという。
例えば、
その1枚は、いかにも歴史がありそうな「お米屋さん」1階の外壁に貼られている。
「昔はこの辺でもたくさんあったけど、だいぶ減ったみたいやからね。時々、見に来る人がいらっしゃいます」
「高田米穀店」の店主・高田和哉さんによると、店は少なくとも大正期から代々営業しており、和哉さんは4代目という。「仁丹」の多くは建物の2階に掲げられているので、ここは間近でじっくり見ることができる貴重な場所だ。(本書24pより)
また、綾小路通からほど近くの、「膏薬の辻子(こうやくのずし)」という細い通りも「密集地帯」だそうで、なかには「超レア版」も。それは木製の看板で、現役としては京都市内に9枚しか確認されていないもの。それ以外はどれも琺瑯(ほうろう)製で、木製はごく初期に作られたものだという。
「伏見市」の看板がある理由
本書には「中級~上級」向けの看板についても記されている。
先ほど取り上げたエリアと違うのは、見つけにくいからだ。特に西陣は、「ちょっとした冒険を望む」中級向けと、本書は説く。その1例が、こちら。
西陣地域にある「元誓願寺通千本東入 元四丁目」と書かれた「仁丹」は家屋の解体を機に鉄格子に囲まれた「お地蔵さん」のほこら横に掲げられている。(本書142pより)
たいがいの看板は、目線より上に設置されているが、こちらについては、かなり低い位置にあり、しかも鉄格子の奥とあっては、よほど意識しないと見つからない。また、その近辺には、木製看板を劣化から守るため、代わりのレプリカを掲げているところもある。本物は、夏の地蔵盆などの際に一般公開しているそうで、ここまでくれば立派な文化財だ。特定の時期しか見られないのも、なるほど中級向けといえる。
他方、京都市南部に位置する広大な伏見区は、9枚しか残ってない上級向けの地域。京都市中心部のものと違ってサイズが小ぶりなのは、住所表記が短くて済むからと考えられる。
気になるのはいずれも「伏見市」と表記されている点だ。
最初は伏見町であったこの地は、1929年に伏見市へと昇格した。ところがその約2年後には、周辺の村々とともに京都市に編入され伏見区になった。看板はいずれも、その短い期間に設置されたことになる。
ところで、編入はもともと決まっていたことで、伏見市が短命に終わることを見越しての措置であったという。これは伏見町が、対等合併にこだわったため。当時の人々の伏見への愛着をうかがわせるエピソードだが、本書は、今でも「伏見の強烈な自負は、少し街を歩いただけで分かる」と指摘する。何の変哲もない看板から、忘れられた歴史がよみがえってくるのは、面白い。
本書は、仁丹の看板を見てまわることを、京都の近現代をめぐる「時空散歩」と表現する。京都観光のおりには、本書を片手に時空散歩してみてはいかがだろうか。きっと、意外な発見があるはずだ。
【今日の教養を高める1冊】
『京都を歩けば「仁丹」にあたる 町名看板の迷宮案内』
取材・文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。