日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。
そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】奈良・大倉本家『金鼓 濁酒(きんこ だくしゅ)』
<うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟背とわが見む>
現実の世に生きる私は明日からは二上山を亡き弟としてみるのでしょう。
『万葉集』(巻2-165)で天武天皇の皇女である大伯皇女(おおくのひめみこ)が、謀反の罪で自害させられた弟・大津皇子(おおつのおうじ)を想って詠んだ和歌です。
万葉の時代の大和言葉では“ふたかみやま”と呼ばれていた二上山(にじょうさん)は、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山で、雄岳(571m)と雌岳(474m)のふたつの頂をもっています。この双耳峰のように、大伯皇女と大津皇子のふたりは仲が良かったと云われ、雄岳の頂上付近にある小さな古墳は皇子の墓とされています。
二上山は見事なまでに夕日に映えることから、神聖な山として、古くから人々の信仰の対象となっていましたが――今宵の一献として紹介するのは、そんな二上山の麓・香芝市にあって、明治29年(1896)の創業以来「常に二上山を西空に見上げながら酒造りに勤しんできた」という大倉本家のお酒です。
現在、蔵を取りまとめるのは4代目の大倉隆彦さんです。今は亡き3代目・大倉勝彦さんの時代の最盛期には約6000石におよぶお酒を製造、そのほとんどが県内で消費されていたといいます。
しかし、時代の流れのなか、3代目が酒造りを休止する決意をしたのは2000年秋のことです。その翌年、横浜で別の仕事に就いていた息子の隆彦さんが、休蔵中の実家に戻ってきます。
隆彦さんには酒造りを再開する気持ちはなく、タンクに残っているお酒の瓶詰・出荷作業等を手伝いながら、別の道を模索していたのだそうです。ところが一転、地元の酒屋や昔から大倉本家のお酒を愛飲してきた人たちとの様々な出会いから、蔵の復活を決意します。
そんな4代目の覚悟を聞いても、3代目はなかなか首を縦にはふらず、粘り強い説得を続けて、ついに再開の許しを得たのは2003年。それも酒造りに必要な酒米の購入期限が終わる前日のことだったといいますが、さて――。
大倉本家の再開への取り組みは、昔から親しまれてきた地元銘柄『金鼓(きんこ)』と、新たな限定流通酒『大倉』を二本の柱とすることから始まります。その造りは、創業以来受け継いできた伝統的な「山廃仕込み」で、いわゆる昔の普通酒は減産し、純米酒を主体としています。
現在の製造石数は約300石。往年の20分の1ですが、どっしりした飲み応えのある旨みと酸のしっかりした個性酒として新たなファンを増やしています。
今宵の一献『金鼓 濁酒』(きんこ だくしゅ)は、もともとは神社の御神酒として造られていたものです。
大倉本家は奈良県神社庁からの委託で、御神酒として納める「濁酒」を1928年から2000年まで醸し続けてきました。止む無く休蔵にいたった際、御神酒用の製造は県内の別の酒蔵に移譲しましたが、蔵の復活後は自社での販売用に『濁酒』の仕込みも再開したのです。2016年秋からは、奈良県神社庁の御神酒『濁酒』の委託製造をあらためて引き受けてもいます。
さて、この『金鼓 濁酒』を初めて口にする方は一様に驚かれることでしょう。濁酒というネーミングから「にごり酒」だということは想像がつくわけですが、やわらかいとはいえ米粒がたっぷりと原形のまま瓶底にたまってトロトロのお粥のような液体です。
そうです、飲むというよりも、むしろ食べる感触に近いかも知れません。
一般的に「清酒」と名乗るにはモロミを“濾す”という工程を経なければいけませんが、『金鼓 濁酒』は濾しません。酒税法上でも、清酒とは表記しない雑酒で、いわゆる「どぶろく」と同じです。
造り方も特殊で「水酛仕込み」あるいは「菩提酛(ぼだいもと)仕込み」と呼ばれます。そのおおもとは、奈良市菩提山町の正暦寺で600年近く前に確立された仕込み方法で、これが「生酛(きもと)仕込み」「山廃仕込み」「速醸し込み」の原型になるものです。
もっといえば、奈良・正暦寺は、当時すでに“火入れ”による殺菌の作業も行っていたことから、日本酒発祥の地とも云われています。
大倉本家の『濁酒』の仕込み方は、まず土間の竈(かまど)でお米を炊きます。その作業とは別に、生米を洗米して桶で吸水させている中に、先ほどの炊きあがった米を酒袋に入れてから投入して人の手で揉みだします。
これを2日ほど放置することで、空気中の乳酸菌が繁殖、何かしらの野生酵母も混入した状態になります。
この水を「そやし水」と呼びますが、これがポイントになります。
「そやし水」を酒母用タンクに移し、そこに蒸米と麹米を加えると、やがて自然に発酵が始まります。それから約30日前後の仕込み日数をかけて完成にいたるのが濁酒です。
ちなみに、濾していないということは、米粒が残ったトロトロの状態ですから、通常の清酒を詰める瓶詰め機は使えません。一本一本、ホースを使って丁重に手詰めをします。
味わいは、イメージされるものよりジューシー感があります。発酵が継続していることから、まるでぴちぴちと微発泡するヨーグルト! 甘さも十分ですが、酸もたっぷりですから見た目の割には爽やかな印象を受けます。
アルコール度数は12%前後。一般的な日本酒の16%前後のアルコール度数に比べると、飲み口は軽快ですが、インパクトは絶大です。
濁酒づくりに使用する飯米は蔵元自らが育てたヒノヒカリなどで、年によって品種は違っています。
さて、飲むというより「食べる」に近い『金鼓 濁酒』に、大阪「堂島 雪花菜(きらず)」の間瀬達郎さんはどんな酒肴を合わせてくれたでしょうか。出てきたのは「下仁田ネギの鴨の味噌漬け巻き」。一度蒸した下仁田ネギを味噌漬けにした鴨肉で巻いたものです。下には赤白菜が敷かれ、上にはカリフラワーやパプリカ、セロリの酢の物にモッツァレラの味噌漬けも乗っています。
もともとは、五穀豊穣を祝う新嘗祭(にいなめさい)に、神社の御神酒として使われる「濁酒」ということもあり、収穫祭をイメージする盛り付けにしたのだそうです。
搾ったばかりの「濁酒」は酸がきわめて強いので、もう少し熟成させたほうが、料理には合わせやすいのかも知れませんが――鴨の油を吸い込んだ赤白菜とモッツァレラの味噌漬けが加わることで「濁酒」の酸をうまく中和させてくれます。
この料理は、昔、間瀬さんが修行中に食べて衝撃を受けた一品なのだそうで、なにより料理そのものが本当に美味しいのです。濁酒と口のなかでぶつかり合うわけではなく、寄り添うわけでもなく、しっかりと肉も酒も“食べている”という感覚でしょうか。
数日間、個性の強い「濁酒」に合わせる料理を考え出すと、寝られなかったと笑っていましたが、いや、じつに見事でありました。
ところで、最初に触れた大伯皇女は『万葉集』に6つの和歌を残しています。そのすべてが亡き弟の大津皇子を偲んで詠んだものです。
<磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありといはなくに>
生えている馬酔木を手折ろうとも、見せてあげたいアナタが生きているとは誰もいってくれない――これは大津皇子の亡骸を二上山に移葬する際、大伯皇女が悲しみに暮れて詠んだ哀切な和歌です。
初冬の夜。二上山にゆかりの『金鼓 濁酒』を一献傾けながら、遠い万葉の時代に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一