テレビ番組『ホンマでっか!?TV』ほか数々のメディアに登場し、積極的に発信を行う堀井亜生(ほりい・あおい)弁護士(46歳)は、これまでに2000件を超える離婚・恋愛トラブルを扱ってきました。今年2月に『モラハラ夫と食洗機』を上梓した堀井弁護士によると、とくに最近増えているのがモラハラによる熟年離婚の相談。
第3回は、離婚したい気持ちばかり強くて「離婚後」のリアルな生活を見通せなかった妻の誤算。住む家は、日々の生活費は、子どもや実家にどこまで頼れるのか……? 壊れかけた夫婦がとるべき最善の道を、堀井弁護士と考えていきましょう。
第1回「役職定年を機に家計に口を出す夫。妻が知る財産分与の現実と意外な結末」はこちら
第2回「退職金の半分を得てのんびり暮らすプランはなぜ泡と消えたのか?」はこちら
文/堀井亜生
離婚相談で必ず最初に弁護士が確認すること「◯◯はできていますか?」
「住む家がない」――熟年離婚で、じつは盲点となるのは「家」なんです。意外ですか? 今回は、それがわかる事例をご紹介します。
離婚をしたいという専業主婦のC子さん(55歳)から相談がありました。
会社員の夫とは気が合わず、子どもが独立したら離婚しようと長年心に決めていたそうです。
子どもが大学を卒業して地方に就職したので、C子さんは実行すべく、筆者のところに相談にいらっしゃったということでした。
「これを見てほしいんです」――と、C子さんはメモ帳を見せてくれました。「体調を崩した時に優しくしてくれなかった」「子どもに嫌味を言っていた」「すぐに仕事をやめたいと言い出す」「結婚式の時に希望を聞いてくれなかった」「義母とけんかをした時に味方をしてくれなかった」など、夫の嫌いなところが数十年分にわたってたくさん書いてあります。
C子さんは「これで離婚できますか」とおっしゃるのです。
こういった質問はよくあるのですが、離婚できるかどうかはお互いの意思次第なので、夫が同意すれば離婚はできます。
実はできるか否かよりも大事なのは、離婚後にどう暮らすか、なんです。
そのため、「離婚後の生活の見通しはできていますか?」とお聞きすると、C子さんは驚いた顔をされました。離婚しようとは思っていたけれど、その後、どうやって生活するかは考えたこともなかった、と言うのです。
離婚はできても、住む場所がない、という事実
まずは離婚後に「住む家」について確認します。C子さんの希望は「夫に出て行ってもらい、今の家に一人で住み続けること」。次に収入や財産に関する資料を拝見しました。
どうやら家にはローンが残っているようです。専業主婦のC子さんでは一人でローンを払うことはできませんし、家を出た夫が払い続けてくれる可能性は低いです。
そもそも、家は夫名義のため、離婚をするとC子さんが今の家に住む権利はなくなってしまいます。
「ではどこかアパートやマンションを借りて……」とC子さんは言いますが、賃貸物件の場合、仕事をしていないと審査は通りません。一般的には2年ほど働いていないと難しいです。
「では就職したお子さんと一緒に住むのはどうですか?」とお聞きすると、お子さんは地方の企業に就職していて、今はワンルームの物件に住んでいるそうです。生活はいっぱいいっぱいで、とても一緒に住むことはできない、と。
そうなると、残るはC子さんの実家です。しかし母親はすでに他界し、父親は老人ホームに入居しているので、実家は売却してしまったということでした。
つまり、C子さんは離婚をしても、現実的に住む場所がない、ということがわかりました。
家だけではありません。今後、少なくとも20年は生きていくうえで、毎月必要な生活費のことも考える必要があります。するとC子さんはやはり驚いた顔で「離婚後の生活費は夫が払う義務があると思っていた」とおっしゃるのです。昔、テレビや雑誌でそのような情報を見た、と……。
残念ながら、これはC子さんの記憶違いです。離婚をせず、籍を入れたまま別居している場合は、婚姻費用といって、夫婦の収入に応じて別居中の生活費を支払う義務があります。しかし、離婚した場合は婚姻費用の支払い義務はありません。
子どもがいる場合は養育費の支払い義務がありますが、C子さん夫妻のお子さんは上述の通り成人して就職しているため、一緒に住んだとしても養育費は支払われません。
では年金分割で生活費をまかなえるかを調べてみたところ、年金の資料からは、とても月々の必要額には足りない額でした。
「まさか住む家がなくなるなんて……思ってもみませんでした……」
C子さんはとてもがっかりされ、いったん、離婚はあきらめました。
パートを始めてストレスは軽減、しかしモラハラ夫への気持ちは変わらず
さて、その後C子さんはどうなったのでしょうか。相談から1年後、C子さんから報告の電話がありました。
まずはパートの勤め先を探したそうです。年齢的に働けるところは少なかったものの、何とか働き口を見つけました。
パートを始めたことで大きなメリットがありました。家で夫と接する時間が少なくなったのです。働くことの大変さがわかり、夫といるストレスも、かなり軽減されたということでした。
パート先は社員登用の道もある職場で、それを目標に日々頑張っているそうです。また、資格を取るための勉強も始めたということでした。
では夫婦関係は修復したのか……と思えばそうではなく、「夫と死ぬまで一緒にいるのは難しい。いつかは家を出るつもり」だと。息子が社会人として落ち着いたら、地方で一緒に暮らすかもしれない……という報告でした。
C子さんのように、熟年離婚では「住む家がない」という切実な問題が起こります。
本来、一番最初に考えることのように思うかもしれませんが、法律相談に来て初めて住む家の問題に気がついたという人はよくいるのです。きっと、盲点なのでしょう。
離婚ができるか、財産がいくらもらえるかの前に、賃貸物件を借りられるか、実家に帰れるか、他の家族を頼れるか、といったことを考える必要があります。収入がなければ賃貸は難しいですし、家を売ったお金で小さなマンションを買えるようなケースは稀です。
熟年離婚の第一歩は住む場所の確保
このどれも難しいけれどやっぱり離婚して別々に住みたい……という場合は、子どもが成人していれば子どもの名義で部屋を借りる、2年間働いた実績を作って自分で賃貸契約する、親戚の家の空いている部屋に住ませてもらうといった選択肢があります。
このように、熟年離婚をする場合は、まずは住む家の確保が最優先事項になります。家がなければ生活ができないからです。
「同居している弟夫婦とそりが合わないから」といった事情で実家に帰ることを渋る方もいるのですが、不仲の夫と一緒に住むか、弟夫婦と折り合いをつけてやっていくかという選択肢を考えることになります。
熟年離婚には、現実的な苦労がたくさん伴います。年齢を重ねてから新しい家を見つけるというのは、その中でも特に大変なことです。せっかく離婚を決意したのに家が見つからず断念……ということにならないように、住む家を確保してから離婚への第一歩を踏み出しましょう。
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堀井亜生(ほりい・あおい)/弁護士。
北海道札幌市出身、中央大学法学部卒。堀井亜生法律事務所代表。第一東京弁護士会所属。
離婚問題に特に詳しく、取り扱った離婚事例は2000件超。豊富な経験と事例分析をもとに多くの案件を解決へ導いており、男女問わず全国からの依頼を受けている。また、相続問題、医療問題にも詳しい。『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)をはじめ、テレビやラジオへの出演も多数。執筆活動も精力的に行っており、著書に『ブラック彼氏』(毎日新聞出版)などがある。