下関の赤間神宮境内にある平家の供養塔の七盛塚。

「単独犯」か「3~4人」か? 混在する史料

『吾妻鏡』の記録によると、源実朝が公暁に暗殺された夜、鎌倉には二尺の雪が積もっていたという。二尺といえば約60cm。膝が埋まる程度の積雪なので、結構な大雪ということになる。現代の感覚では鎌倉でそんなに雪が降るだろうか、という感じもするが、凶行の夜はそんな天候だった。

酉の刻(午後6時)から始まった右大臣任官の拝賀の祭儀を終え、実朝が鶴岡八幡宮の階段を降りている最中に、刃を向けられた。実朝を襲ったのは「単独犯」という史料と「3~4人」という史料が混在する。

鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には〈別當阿闍梨公曉 父の敵を討つ之由、名謁被(なのら)ると云々〉とあり、鶴岡八幡宮の別當で、実朝の甥にあたる公暁が「父、頼家の仇を討ち取った、その場で名乗った」と、公暁が、実行犯であることが明確に記される。

一方、京の事情通・慈円の『愚管抄』には、実行犯が一刀のもとに実朝の首を切り落とした直後、実行犯と同じようないでたちの3~4名の者が現れ、義時と誤認して、源仲章を斬り殺したと記している。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、凶行の前週に源仲章(演・生田斗真)が〈主殺しは重大な罪〉という台詞を発していた。公暁にとって実朝は主であり、叔父。自らの手を汚して実朝を殺害して、そのうえで次期将軍に自分が任ぜられると思っていたとしたら、あまりに短絡的。公暁がそこまで馬鹿だったとはにわかには信じがたいのだ。

滅亡した平家一門の子弟が供僧として鎌倉にいた!

実は、実朝が殺害されてから、鶴岡八幡宮の複数の供僧が幕府の取り調べを受けている。

『吾妻鏡』には、暗殺事件後に、公暁の凶行に協力した供僧がいなかったか取り調べが行なわれていたことが記されている。例えば、凶行直後の1月29日には、「定豪」「重慶」「良喜」「尊念」「良智」の5名が、1月30日には「阿闍梨重賀」なる人物の調べがあったが、29日の5名は、「疑いなし」とされ、30日の「重賀」には北条義時が直々に御書をくだし、「無罪認定」をしたのだという。

義時が直々に御書を出していることがかえって怪しい感じがするのだが、2月1日には「良祐」という鶴岡八幡宮の供僧が同じように公暁に加担した疑いで取り調べを受けたことが『吾妻鏡』に記される。この「良祐」もまた取り調べの結果、義時から疑いが晴れたので「今まで通り勤めるように」との沙汰が下ったという。

ところがである。『吾妻鏡』では、公暁に加担した供僧の存在はなかったことにされたが、鶴岡八幡宮の記録『鶴岡八幡宮社務職次第』には〈同意供僧三人〉という表現で、公暁に加担した供僧がいたことが記される。それによると公暁に加担した供僧3人は所職を改替(配置変え)されたという。同書に記された供僧の名は、「良祐」「頼信(顕信の誤記とも)」「良弁」の3名。

『吾妻鏡』では疑われたけれども、義時によって許された「良祐」が八幡宮の記録では、公暁に加担協力した〈同意供僧〉と認定されていたことがわかる。そして『鶴岡八幡宮寺供僧次第』という八幡宮の名簿ともいえる記録には「良祐」が〈平家一門〉、「顕信」が〈平家門脇殿孫〉、つまり平教盛(清盛の弟)の孫で「良弁」もまた〈平家一門〉と記録されているのだ。

つまり、公暁に加担した3名の供僧はすべて平家一門だったということになる。さらに驚くべきことに、1月29日に取り調べを受けた前述の5名のうち4名が平家一門出身でそのうちの「良智」は南都焼き討ちで有名な平重衡(清盛五男)の息子と記録されている。

源氏の公暁が別當を務めていた鶴岡八幡宮だが、内部には異様なほどに平家一門出身者がいたことがわかる。彼らは北条時政のほか梶原景時や佐々木高綱らの御家人の推挙で鶴岡八幡宮に入室していたことがわかっている。

公暁の命で、伊勢神宮へ詣でた男の存在

このことを私たち「サライ歴史班」に教授してくれた元鶴岡八幡宮教学研究所所長の加藤健司さんはこう語る。

「実朝暗殺事件後に取り調べを受けたり、配置替えになったりした鶴岡八幡宮の供僧はほとんどが平家の流れをくむ者たちです。そのため公暁をそそのかして源氏を討たせたとする説もあります」

平家一門出身の供僧たちは、公暁に加担したのだろうか。それとも彼らが公暁を唆したのか?

あるいは実行犯は彼ら平家一門出身者で、公暁が罪を着せられたとも想像してしまう。なぜなら、実朝、公暁が同時に討ち取られることで、平家一門の仇である源氏一族が滅びたのだから。そして、取り調べを受けた彼らを許したのが北条義時という記録から、得体の知れない闇の存在が感じられるのである。

2月6日、白河左衛門尉なる人物が三河国矢作で自害したことが『吾妻鏡』に記される。彼は公暁の命で、伊勢神宮へ詣でて、幣を捧げ終えて帰ってくる途中に公暁の横死を聞いて、自らの命を絶ったのだという――。

わざわざ伊勢参詣に派遣した者が戻らぬうちに、突然、凶行に及ぶものだろうか。公暁の心情は歴史の中に埋没したままである。

構成/『サライ.歴史班』一乗谷かおり

 

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