ようこそ、“好芸家”の世界へ。
「古典芸能は格式が高くてむずかしそう……」そんな思いを持った方が多いのではないだろうか。それは古典芸能そのものが持つ独特の魅力が、みなさんに伝わりきっていないからである。この連載は、明日誰かに思わず話したくなるような、古典芸能の力・技・術(すべ)などの「魅力」や「見かた」にみなさんをめぐり合わせる、そんな使命をもって綴っていこうと思う。
さあ、あなたも好事家ならぬ“好芸家”の世界への一歩を踏み出そう。
第9回目は歌舞伎の世界。長く歌舞伎の拠点となっている「芝居小屋」、「劇場」との違いや魅力をご紹介しよう。
文/ムトウ・タロー
芝居小屋は、物語に入り込める空間
一歩足を踏み入れると、そこはまるで別世界。歌舞伎を見に来ているはずなのに、歌舞伎の物語の世界に自分がいる、そんな感覚が生まれてくる。
自分の周りのあちらこちらで、色んな人間が泣いたり、笑ったり、飛んだり、跳ねたり、走ったり……。そこはまるで歌舞伎のテーマパーク。これこそが、芝居小屋の魅力である。
今、歌舞伎をはじめとする様々な演劇を上演する空間は「劇場」と呼ばれている。しかし一昔前まで、この空間は「芝居小屋」と呼ばれていた。
このふたつに、厳密な規定の違いはない。とくに、「芝居小屋」の特徴は、舞台と客席の一体感を感じさせる構造になっているものが多い。また、現代の劇場にみられるような、舞台と観客席の間に存在する、眼に見えぬ透明なバリアによる明確な「区切られ」が存在していない。
例えば「桟敷席」。今の演劇空間が椅子席になったのは西洋化・近代化の波が訪れた明治時代以降のこと。それまでは基本、客席は桟敷であった。
現代に残る芝居小屋である香川県琴平町の金丸座(旧・金毘羅大芝居(きゅう・こんぴらおおしばい))や熊本県山鹿市の八千代座などは、今もその名残を残している。歌舞伎座に一部桟敷席が残っているのも、同じような名残故であろう。
桟敷席の魅力は何といっても、視点の柔軟性。座席におさまり、前だけに視線が固定化されている現代の劇場空間とは異なり、様々なところに視線を動かすことができる。それが芝居の世界が自分を取り囲んでいるかのような効果をもたらす。
この効果をさらに引き出しているのが「花道」。観客席を貫く一本道である「花道」も、劇と観客が一体になる様な効果があり、現在の歌舞伎興行には欠かすことができない。舞台から一本の道が通っていることで、観客もその一本道を通して、物語の「中」で役者たちの躍動を体感していることになる。
このような芝居小屋で生まれた構造は観客に、芝居を「見るもの」ではなく、「体感するもの」にさせている。さながら、芝居小屋は物語のテーマパーク的な要素も兼ね備えている。
回り舞台、すっぽん……「芝居小屋」の発明品の数々
物語を「体感する」空間を作り出した芝居小屋の構造、それを観客にさらに味わってもらうために、芝居小屋は数多くの仕掛けを生み出した。
代表的なものが回り舞台。「盆」と呼ばれる円形に切られた舞台の床の中心に、「心棒」と呼ばれる太い棒を備え付けて、これを動かすことで回転させる仕組みになっている。
1758年(宝暦8)に大阪の狂言作者であった初世並木正三(なみきしょうざ)が『三十石艠始(さんじゅっこくよふねのはじまり)』で採用したものが原型とされている。舞台を回すという発想が生まれたことで、場面転換をスムーズに行うことができ、物語の進行にも、演出効果にも大きな発展を与えた。
今日では電動式のものが大半だが、毎年4月に「こんぴら歌舞伎」が行われる金丸座は、現在でも手動式の回り舞台が使われている。男たちが舞台下の「奈落」に控えて、場面転換とあらば人力で舞台を回すのだ。
一方、舞台には「セリ」と呼ばれる、舞台上の一部を四角く切り抜いて上げ下げさせ、建物や人物を登場させたり、引っ込めたりする昇降装置が存在する。「セリ」は花道にも設置され、「すっぽん」と呼ばれている。
この装置から、せり上がって出てくる役は限定されている。それは「非人間的」な存在、あるは「超人間的」な力を持つ存在である。
代表的な存在は『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)の仁木弾正(にっきだんじょう)。この作品は、江戸時代に仙台藩(今の宮城県)で起きた「伊達騒動」をモデルにしたもの。お家の乗っ取りを狙う悪の総帥である弾正が姿を現す場面は、大量の煙を纏って「すっぽん」からせり上がってくる。巻物を口にした灰色一色の装いで、不気味ながらもその妖しげな色気を兼ね備えた場面は、数ある歌舞伎の演目の中でも強い印象を与える演出である。
芝居小屋に備えられた様々なアイディアが、歌舞伎の名作や名場面を生み出す役割も果たしていた。
「遊びごころ」が生み出される空間
この秋、約3年ぶりにお目見えしている「平成中村座」。十八世 中村勘三郎(1965~2012)が江戸時代に実際に存在した芝居小屋「中村座」をモデルに自ら構想し、実現させた芝居小屋である。
この芝居小屋では、役者が観客席の中を闊歩したり、走り回ったりすることは当たり前。ニューヨーク公演での『夏祭浪花鑑』(なつまつりなにわかがみ)では、義父を殺めてしまった主人公の團七九郎兵衛(だんしちくろべえ)が最後ニューヨーク市警に取り囲まれるラストシーンを作るなど、様々な演出で喝采を浴びてきた「平成中村座」。
そこに「舞台と観客の一体感」という芝居小屋が持つ強みを最大限生かして、観客を楽しませようとする俳優たちの「遊びごころ」への挑戦が見えてくる。
常に新しい発想を生み出してきた歴史が、芝居小屋の歴史そのものである。これからも「平成中村座」をはじめとした芝居小屋ができる時には、新たな「遊びごころ」が生まれる瞬間を、私たちは目にすることができるかもしれない。
文/ムトウ・タロー
文化芸術コラムニスト、東京藝術大学大学院で日本美学を専攻。これまで『ミセス』(文化出版局)で古典芸能コラムを連載、数多くの古典芸能関係者にインタビューを行う。
※本記事では、存命の人物は「〇代目」、亡くなっている人物は「〇世」と書く慣習に従っています。