3食の中で、最も楽しみなのは朝食。病弱だった頃からの母の助言、「朝食に“テキ”を食べろ」を、今も守り続けている。
【絹谷幸二さんの定番・朝めし自慢】
鮮烈な色彩に、生命のエネルギーが溢れている。日本を代表する洋画家・絹谷幸二さんは、奈良・猿沢の池の畔に生まれ育った。
〈青丹よし寧楽の京師は咲く花の 薫ふがごとく今盛りなり〉
「『万葉集』にある、色彩あふれる古都・奈良が私の原風景です。往時は寺も社も華やかに彩られていたことでしょう」
小・中学校時代から絵を描き、奈良高校卒業後は東京藝術大学絵画科に進み、小磯良平教室(油彩画)で学ぶ。そして、大学院進学時に選んだのが “壁画” であった。
「スペインのアルタミラやインドのアジャンタでは、人類発祥の頃から洞窟などに絵は描かれ続けてきたが、いつの頃からか、ミケランジェロやジョットが教会に描いた古典壁画(アフレスコ)は廃れてしまった。私が誰も描かなくなったアフレスコに惹かれたのは、“絵を描く” ということの真実に触れたかったからです」
アフレスコとは一般的にフレスコ画と呼ばれ、生乾きの漆喰(しっくい)壁に絵を描き込み、乾燥に向かう自然のリズムと呼応しながら創作する超絶技巧だ。1971年、アフレスコを学ぶためにイタリアに留学。ヴェネツィア・アカデミアでアフレスコ古典画法や現代アフレスコの研究に取り組み、これらを体得。
帰国後、画家の登竜門とされる安井賞を歴代最年少で受賞。アフレスコによる独自の画風を確立し、長野五輪ポスターの原画、公共建築物の壁画や天井画を数多く制作し、昨年、文化勲章を受章した。
母の「朝は “テキ” を食べろ」
ひたすらに絵を描き続けてきた画伯の健康の源は、朝食である。
「小学生の頃に教室で “朝食は金、昼食は銀、夕食は銅” と発表したことがある。その言葉通りに、私は朝食が一番旨い。朝は舌も新鮮だし、幸福感に満たされます」
その朝食に、週2~3回は “テキ” が登場する。“テキ” とはビフテキのことで、関西ではこう呼ぶという。
「102歳で逝った母も90代まで “テキ” を食べていた。体が弱かった私に朝、“テキ” を食べろというのが、母の助言でした」
年を重ねると人は枯淡の境地に向かいがちだが、80代を目前にして、ますますエネルギッシュだ。
未来に向けて、芸術という種をまいておきたい
絹谷さんは今も、全国の小・中学校で絵を教える「子供 夢・アート・アカデミー」活動で、年間15校ぐらいは訪れる。
「私の授業では、絵の具はそのまま使っては駄目だよ、と伝える。料理と一緒で甘いお汁粉に塩を入れるように、隠し味を入れてみようと。すると同じ赤でも百人百色の “赤” ができる。色の混ぜ方ひとつで、自分だけの絵が描ける楽しさを体験してほしいのです」
2008年には、“絹谷幸二賞” も創設した。この賞は日本画、洋画を問わず、35歳以下の画家が対象で、1997年を最後に終了した安井賞の代わりになればよいとの思いからだ。
「私が31歳で安井賞を受賞したのは、将来への期待と不安が入り交じった時期でした。それだけに、駆け出しの画家を応援したい気持ちから始めたのです」
今年から「絹谷幸二 天空美術館キッズ絵画コンクール」も始まった。これは多くの子どもたちに創造の歓びや楽しみを体感してもらう試み。それもこれも未来に向けて、芸術という種をまいておきたいと思うからである。
※この記事は『サライ』本誌2022年10月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )