文/印南敦史
人気のドラマ『孤独のグルメ』のSeason 10が10月7日からスタートする。昔からのファンである私も楽しみにしているのだが、このドラマに関連し、前から気になっていたことがひとつある。
番組で紹介された店を“聖地巡礼”し、それをYouTubeやブログで紹介する人の多さだ。ドラマに出た店を実際に訪れてみたいと思う気持ちは、たしかにわからないでもない。だが原作者である久住昌之さんは、そういうことをあまり望んでいないように思えてならないのだ。
久住さんが以前から、「未知の店を自分の足で探す」ことの大切さを説いてきた人であることを知っているからである。
事実、旅先や散歩中に出会った飲食店で実際に飲み食いした話をまとめたという新刊『勝負の店』(久住昌之 著、光文社)の冒頭にも、次のような記述がある。
事前に調べることはなく、店の前でスマホによる店名検索もしないので「この店は、おいしいのか、そうでもないのか」の判断は、難しい。でも、難しい店ほど、当たればワンアンドオンリーのおいしさと、ドラマがある。外れたら悲惨。マズイ、高い、感じ悪い……かもしれない。この歳になると、一食失敗したダメージが大きいんです。(本書「はじめに」より)
したがって、毎回が真剣勝負になるわけだ。判断材料は想像力のみ。そのため入る前に店をよく見て、「入るか、やめておくか」を決断するのだという。失敗を恐れずに勝負を挑むわけだが、それは「ドラマで紹介されたから“巡礼”し、その結果をSNSやYouTubeにアップする」ということとは正反対のスタンスであるといえる。
『孤独のグルメ』で紹介された店はもちろんのこと、多くの媒体で紹介されているものも含め、久住さんが取り上げている店がおしなべて魅力的なのは、それらがすべて実際の経験によって選ばれたところだから。そこに、「未知の店を自分の足で探す」という久住さんの考え方があるのだ。
その証拠に、自分の足で探し出した「勝負の店」についての思いをつづった本書においても、訪れた店の名前は書かれていない。挿画にはコッソリ描かれていたりするし、多少なりとも食べ歩きをしている人であれば、「あ、おそらくあの店だな」とピンとくる店もあるかもしれない。
だが、それらはあくまで“添え物”であり、“巡礼”するための資料では決してない。あくまで、主役は久住さんの体験だからだ。
そう考えると、久住さんの「ボクの体験を楽しんでいただければ幸いです」という記述は、「ここで選んだ店がそうであるように、自分にとっての『勝負の店』は、各人が自分の足で探し出してください」というメッセージのようにも感じられる。
浅草は浅草寺裏を、あてどなく散歩していて、ちょいと気になる店があった。
入口の引き戸が、大きな樽の輪切りのようなもので囲まれている。その横になにか針葉樹の木が無造作に枝葉を伸ばしている。
明らかに居酒屋と思われるが、まだ暖簾も引っ込んでいて、提灯も出ていない。
少し引き戸が開いていて、中が見えた。どうやら焼鳥屋のようだ。カウンターの中に、店員らしき若い男が見えたので、
「あの、何時からですか?」
と聞いたら「5時です」と答えてくれた。
ちょっとしか店内は見えなかったが、なぜか「ここ絶対おいしい」と確信した。なぜか、そのポイントは思い浮かばない。溢れ出た空気、というか、匂いというか。(本書162ページより)
淡々と、目に見えたものだけを映し出した情景描写。一例だが、これこそまさに、体験してみない限り表現できないものだ。そもそも久住さんがこの店を見つけたのは、「あてどなく散策」していたからにほかならない。
しかも、この店に関しては開店までに時間があったようで、店が開くまでに近所の“浅草で初めて入る銭湯”でひと風呂浴びたりもしている。
風呂は、年配の男たちで混んでいた。さすが浅草、と思い、うれしくなる。
銭湯と蕎麦屋は、日のあるうちに限る。天窓から陽光の入る湯に、体を伸ばしてつかると、雑事を忘れ、身も心もゆるむ。ストレスも溶ける。(本書163ページより)
ストレスを溶かしてから居酒屋の暖簾をくぐれば、さらに充実した時間が過ごせるであろうことは容易に想像がつく。だから読んでいると純粋に、「いいなあ」と感じる。その結果、「この店を検索して突き止め、追体験しよう」などという野暮なことではなく、「自分にとってのこんな店」を自分の足で探し当てることが、いかに大切であるかを改めて実感する。
そういう意味で本書は、いい店と巡り合うために頭にとどめておきたい「本当に大切なこと」を再認識させてもくれるのだ。
なお本書の魅力をさらに高めている要素として、上述した和泉晴紀さんによる挿画の素晴らしさにも触れておきたい。久住さんと“泉昌之”名義でコンビを組んで漫画家デビューした方だけあって、久住さんの文章との相性は抜群。表紙の「濃さ」も非常に魅力的であり、実際に手にとってみると、事前にSNSで見たときよりも強い説得力を感じさせてくれた。
それもまた、「体験」の大切さのひとつだといえるかもしれない。
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。