文・写真/冨久岡ナヲ (海外書き人クラブ/英国在住ライター)
長州ファイブ、または長州五傑とは、日本がまだ鎖国中だった江戸時代末期に英国へ密航留学した五人の長州藩士のことだ。
井上聞多(後の井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(後の伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)というそうそうたる顔ぶれが長州藩から派遣された背景などは、映画『長州ファイブ』や数々のテレビ番組、書籍などから知っている人も多いだろう。
英国商船に潜み横浜から出発した21歳から28歳までの若者五人は、辛い長旅を経て1863年ロンドンに到着した。伊藤博文は航海中ずっと下痢に苦しみ、井上馨は船の乗組員から下級水夫と間違われひどい扱いを受けたとのちに回顧している。
栄華を極めていた大英帝国の首都に辿り着いてみれば、石造りの巨大なビルが林立し開通したばかりの地下鉄には蒸気機関車が走っている。五人は見るもの聞くものすべてに衝撃を受けたのではないだろうか。この密航留学がその後の近代日本の実現につながったと思うと感慨深い。
あれから160年という年月が経とうとしている。
長州ファイブとその後に続いた薩摩藩19名の留学を記念する碑が、彼らを受け入れた大学UCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの略)「University Collage London(https://www.ucl.ac.uk/)」の構内に建っていると聞き訪ねてみた。
UCLはロンドンの中心部、大英博物館のすぐそばにある。英国の首都における初の大学として1826年に創立され、現在はロンドン総合大学の旗艦校となっている。世界大学ランキングでも常に上位という名門だが、開校当時は宗教や階級に関わらず「すべての人に開かれた大学」を目指し、海外からの留学生も受け入れる革新的な教育機関だった。長州ファイブは今も大貿易会社であるジャーディン・マセソン商会の手引きによって英国に渡り、UCLに分析化学の聴講生として受け入れられたのだった。
記念碑を訪れるのに最も近い地下鉄駅はベイカルー線のEuston Square駅またはノーザン/ビクトリア線Warren Street駅だ。英国では築数百年という建物がいまもりっぱに現役。大学正門があるガワー通りGower Streetから見たメインの建物は、創立当時に描かれた絵と変わらないのに驚く。構内への入り口もこの200年近くも前の絵の右端に見えているドアと同じだ。
このドアはUCLアートミュージアムの入り口でもあり一般も入場できる。ホールを通り正面のドアを開け「ジャパニーズ・ガーデン」と名付けられた中庭に出る。右手にすぐに目に付くのが日本留学生記念碑だ。
日英友好協会などによって1993年に建立されたこの記念碑には、長州の5名と薩摩からの留学生15名及び視察員4名の名前が日本語と英語で一面ずつ彫ってある。側面には「はるばると こころつどいて はなさかる」と刻まれているが、これは薩摩組の松村淳蔵が日本を後にするにあたって詠んだ句ということだ。
2013年には留学150周年を記念して中庭がジャパニーズ・ガーデンとなり、さまざまな催しが行われたそうだ。翌年には安倍首相もここを訪れている。来年は160周年を記念する企画の準備を行っており、それに向けて記念碑もお化粧直しをしたばかりとのことで金色の文字はピカピカだった。
またそばには壺のような彫刻が置かれている。これは「記憶の断片」というUCLの芸術プログラムの一部として、アーティストBouke de Vriesによって今年創作されたばかりの作品。日英関係や歴史、断絶、トラウマ、復興などの要素を現したそうだ。
記念碑を後にし、正門から出ると門の反対側は赤煉瓦作りの建物だ。こちらのほうが日本人には19世紀を感じさせる。しかし、これは1906年に大学病院として建てられたもので、今も医学系の研究所や学部がある。
こんどは留学生達が暮らした下宿先を探す。ガワー通りの両側に並ぶキャンパスの間を南下すると、チャールズ・ダーウィンの名が刻まれたブルー・プラーク(偉人ゆかりの地を示すパネル)が目に付いた。著書「種の起源」はキリスト教の教えに逆らう内容として糾弾されたが、その出版を実現させたのは無宗教大学であるUCLだった。
通りはまもなく、その昔に学生と研究者が住んでいた下宿街となる。今ではB&Bのような宿泊施設になっているところもある。長州ファイブは化学者であるアレクサンダー・ウィリアムソン教授に迎えられ、はじめは教授の家に滞在し妻キャサリンは彼らに英語を教えた。
しばらくして井上馨と山尾庸三はガワー通りの下宿に移った。それがここ103番地だ。長州組の後に続き留学生が何人か住んでいたという。お世辞にもきれいとはいいがたい外観だが当時も安下宿だったそうだ。
留学生たちの生活は決して楽ではなかった。もともと日本からの所持金は少なく、幕末日本からの送金は困難でありアルバイトをすることも叶わず、中には栄養失調と寒さで病気になり命を落とした留学生もいた。長州藩の山崎小三郎、土佐藩の福岡守人など4名が今もロンドン郊外の墓地に眠っている。
英国到着から半年たらずで急遽帰国した伊藤博文と井上馨は、後に残った井上勝からこの窮状を聞き、今後は十分な資金を与えずに外国へ派遣することはならないと書簡に残している。
長州ファイブ、そして薩摩ナインティーンの面々が歩いていた19世紀の面影が今も残るこのエリアは、大英博物館から徒歩圏内だ。博物館を訪れるついでにぜひ、UCLのジャパニーズ・ガーデンに佇むこの記念碑にも寄ることをお勧めする。
UCLウェブサイトに掲載された長州ファイブと記念碑についての記事:https://www.chemistryworld.com/opinion/the-choshu-five/6317.article
文・写真/冨久岡ナヲ (英国在住ライター)
ロンドン在住のジャーナリスト、英国ビジネスや時事ネタを中心に執筆中。旅と鉄道と食が趣味。共著に「コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿(光文社新書)」がある。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)