主食は白飯ではなく麦飯
<鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす>
100年以上続いた戦国乱世の時代に終止符を打ち、天下泰平をもたらした徳川家康(1543~1616)は、6歳の時から織田氏、そして今川氏へと13年にもわたって人質に出されていた。そうした幼少から青年にかけて不自由な生活を余儀なくされた苦労人だっただけに、生涯、粗食をもっぱらとした。
主食は白飯ではなく麦飯で、おかずは1~2品で充分。三河(愛知県)出身であるから、大豆と塩のみで作った豆味噌(八丁味噌)を好んでよく食べた。麦と大豆は、ともにたんぱく質やビタミンなどの栄養価が高い食品である。
さらに、家康は偏食と美食三昧を非常に嫌い、「美食ばかりでは、うまいものもうまく感じなくなる。ふだんの食事はなるべく質素にして、ぜいたくな食事は月に2~3度でよい」と、日頃から摂生につとめていた。
常に温かいものを食す
家康がとりわけ気をつかっていたのが、「常に温かいものを食す」ことであった。冷たいものは胃腸に悪いと考え、飯は四季を通して炊きたてを用意させ、たとえ戦場であっても携帯用の干し飯を火であぶって食べるという徹底ぶりだった。温かいうどんも好物のひとつで、麺が柔らかくなるまでしっかり煮込んだ。これも消化吸収を考えてのことである。また、旬の食物を好み、季節はずれのものはどんなに珍しいものであっても見向きもしなかったという。
家康が関ヶ原で勝利したのは59歳、豊臣氏を滅ぼしたのは74歳のときのことである。麦飯と豆味噌の粗食、温かいものを食す、旬を味わう。この3つを日頃から実践してたからこそつかめた天下であった。
文/内田和浩