取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
今回、お話をうかがったのは群馬県前橋市にお住まいの横田正弘さん(67歳)です。中学校を卒業後、大工として働きながら夜間定時制高校に通い、資金を貯めて建設会社を設立。その後、オートバイの展示を中心とした私設ミュージアムを設立します。現在は自動車と玩具の展示を中心とした私設ミュージアムの運営を行いながら、クラシックカーラリーに出走する日々を送っています。
免許証取得後、最初に購入したのはブルーバード1600クーペSSS
1953年、群馬県高崎市で産声をあげた正弘さん。日本が高度経済成長期を迎えた1960年から1970年。正弘さんの少年の瞳は、急速にクルマが普及するのを目の辺りにします。身近にクルマを感じつつも、それ以上に興味を持つことはなく、友人と身体を動かして遊ぶ日々を過ごしていたそうです。
中学校卒業後は(全日制の)高等学校に進学せず、大工に就職。昼は玄能を片手に汗を流し、夜は夜間定時制高校に通う道を選択します。16歳で普通自動二輪免許(中型自動二輪免許)を取得し、通勤、通学用にホンダの『ドリームCB250』を購入。そして18歳で普通自動車運転免許を取得し、ダットサン(日産)の三代目『ブルーバード1600クーペSSS』を購入します。
「免許証を取る前から、クーペの格好良さが気になっていました。中古車でしたが当時はお金がなかったので、10回払いのローンを組んで購入しました。どこへでも行けるようになったのが嬉しく、休日が待ち遠しかったものです」
当時、群馬県には林道がたくさんありました。正弘さんは時間があればブルーバードで林道の走行を楽しみ、お小遣いのほとんどをガソリン代とタイヤ代に費やしたそうです。
一目惚れしたフェアレディZを購入。しかし仕事の忙しさで手放すことに……
21歳でブルーバードからホンダ『1300クーペ』へと乗り替えた正弘さん。1300クーペが持つ存在感のあるスタイルが気に入っての購入ですが、街で見かけた日産(初代)『フェアレディZ』の流麗で力強いスタイルに惚れ込み、乗り替えを検討します。
発売当初より絶大な人気を誇ったフェアレディZ。なかなか程度の良い中古車を見つけることができなかったのですが、諦めることなく探し続け、ついに出物と出会い購入を果たします。
フェアレディZを迎えた23歳の年(1976年)は、正弘さんに大きな転機が訪れた年でもあります。コツコツ貯めた資金と築いた人脈を活用し、建設会社を起業。また20歳の頃よりお付き合いを続けていた奥様と入籍を果たします。若き代表として家庭の大黒柱として、正弘さんは多忙な毎日を送るようになります。
念願のフェアレディZを入手したものの、思うように乗れないこともあり、購入から2年で売却を決断。仕事で長距離移動をする機会が増えたため、次のクルマは乗り心地や使い勝手を重視し、マツダのセダン『ルーチェ』を中古で購入しました。
ビートル(タイプワン)に癒やされながら、がむしゃらに働き続けた20歳代後半
代表となった日から、休むことなく働き続けた正弘さん。そんな正弘さんを乗せ、西へ東へとルーチェは走ります。購入から4年が経過し、ヤレ(経年劣化)が進んだルーチェに代わって、正弘さんはフォルクスワーゲンの『タイプワン(愛称:ビートル)』をガレージに迎え入れました。
「購入したビートルは、たまたま中古ショップで見かけた個体です。国産車にない雰囲気とたたずまいに惹かれ、その場で購入を決めました。地元、群馬県は冬になると冷え込みがきびしく、ビートルのヒーターが力不足なのか、それとも外気が入り込むからか、車内はいっこうに暖まりません。冬の移動中は、ずっと寒い思いをしたのをよく覚えています。けれど指のかじかみが気にならなくなる程、運転するのが楽しいクルマでした」
この頃、オートバイのミュージアムを作ることが正弘さんの夢でした。建設会社を切り盛りしながら、コツコツとビンテージのオートバイを収集。そして30歳を迎えた1983年、ついにオートバイの私設ミュージアムを開設します。50台以上の希少なオートバイを展示したミュージアムは、いわゆるマニアからは高く評価されました。しかし一般のお客さんがリピーターとなってくれず、経営としては失敗。程なくして閉館を余儀なくされます。
引き続き会社の業績は順調なもののミュージアムの失敗を機に、がむしゃらに働き続けたこれまでの生き方に疑問を抱きます……。
取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ゲーム雑誌の編集者からライターに転向し、自動車やゴルフ、自然科学等、多岐に渡るジャンルで活動する。またティーン向けノベルや児童書の執筆も手がける。