総集編まで見届けて、『麒麟がくる』ウォッチが完了した。視聴率100%以上(何度も見た回もあり)の当欄スタッフもまた陥った「麒麟ロス」。症状を和らげる処方箋を提供したい。
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ライターI(以下I): ついに『麒麟がくる』総集編も終わりました。
編集者A(以下A): 今でこそオンデマンドやBS、CSでの再放送がありますが、私が子供の頃は、総集編の終了でもう当該作品を再び見ることが不可能でした。小学生のころ初めて通しで見た大河ドラマは『草燃える』でしたが、1話だけ学校行事で見逃しました。全話終わってから、NHKに「再放送してください」とお願いの手紙を出したことがあります。NHKのすごいところは、田舎の一小学生の手紙にきちんと返事をくれたことです。「再放送の予定はありません」というたったそれだけなのですが、『草燃える』のはがきでの知らせが届いたことはうれしかった記憶があります。
I:いい話ですね。ところで、「麒麟ロス」に襲われている人が多いようです。
A:それだけ印象深い内容だったからでしょう。これまで天下人を目指していた織田信長を殺害した謀反人というイメージが強かった明智光秀ですが、視点を変えたら目に映る風景が違って見えたわけですから。
I:『麒麟がくる』を期に光秀ファンになった人も多いようです。
A:『麒麟がくる』では、6か所も大河館が運営されたようです。こんなに多かったのは珍しいと思います。
I:三重大学の藤田達生教授の『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』や『サライ』の明智光秀特集の取材で明智光秀ゆかりの地をいくつも巡っていたようですが、もう一度行きたい場所はありますか?
A:そうですね。岐阜城(稲葉山城)や坂本城跡などは交通アクセスも良いですから機会は巡ってくると思いますが、わざわざもう一度訪ねてみたいといえば、周山城と慈眼寺ですかね。
I:なるほど。渋い選択ですね。
A:住所は京都市右京区なので、一見行きやすい場所に感じるのですが、京都駅から車で1時間強かかり、旧国丹波に位置します。
I:光秀が5年の歳月をかけて平定した丹波にあるのですね。平成の合併前は京北町だったところですよね。
A:はい。光秀は丹波を平定した後に、領内にこの周山城と福知山城を築城します。周山城は、日本海側の若狭・小浜と京都を結ぶ周山街道の道筋にあり、交通の要衝でした。標高480mの山城です。登山道中腹からは、弓削荘や禁裏御料(皇室の所領)の山国荘が見渡せます。
I:三重大学の藤田達生教授の『明智光秀伝』の受け売りですが、山国荘に関しては、光秀の丹波平定によって禁裏御料としての地位を回復したとして、正親町天皇から賞されているんですよね。
A:そうなんです。それだけ光秀は丹波平定とその治世に力を注いだようです。そして、周山城ですが、石垣遺構や本丸跡などが良好に遺されています。石垣の積みかたなどが光秀の几帳面な性格が反映されているといわれていますね。
I:5月くらいから秋口にかけてはヒルが出るらしいので、対策が必要なようです。私たちも2019年7月に取材に行った際には万全の対策をとりましたが、豪雨で登城を断念しました。同じ年の11月に再訪した際はヒル対策が不要な時期になっていました。
A:天正9年、光秀は周山城で茶人の津田宗及を招いて連歌と十五夜の月見を催しています。この時光秀が、どのような思いでどのような月を眺めていたのか、ものすごく興味があります。
【眼光鋭き、黒塗りにされた明智光秀坐像。次ページに続きます】