■城下町では今も良質な日本酒が醸される
その一方で、弘前は古くからの酒どころでもあった。元禄期の段階で、弘前城下だけでも100軒を超える酒屋(酒造業)があった。弘前城下での酒造りは、名水100選にも選ばれた「富田の清水(シツコ)」が現在も満々と水を湧き出しているように、良質で豊富な湧水を仕込み水に使用したものだった。明治以降は、関西を中心とした良質の酒が青森県にも移入されるようになり、その影響を受けて酒造りに対する技術向上が図られ、さらに良質の酒を生み出していったのである。
弘前では現在も地元の蔵元さんが良質の酒を造り続けており、三浦酒造が手がける銘柄『豊盃(ほうはい)』などは、地元ファンのみならず県外の愛好家も多い。
花見酒としても王道は日本酒だろう。弘前は花見の時期でも夜間はまだまだ冷える。弘前公園で極上の夜桜を楽しみながら地酒を味わうのは至福のひとときだ。飲み干す燗酒で花冷えの体を温め、さらには満開の夜桜に陶然とすることで、ついつい杯が進む。著しく酩酊してしまうのは毎春の約束ごとのようなものである。
桜とリンゴは、どちらも弘前の個性を象徴する、なくてはならないものだ。地酒とシードルはそういう意味でも、現在の弘前にとって、もっともなじみが深く、自信をもって全国に発信できる逸品である。
■マッサンの「りんごの酒」を受け継いだ弘前の煉瓦倉庫
弘前公園の南東に、中央弘前駅という、私鉄・弘南鉄道の古びた駅がある。弘前の中心市街地にあるのだが、駅に隣接して、大きな煉瓦(れんが)造りの建物が立ち、特異な景観を形づくっている。
吉野町煉瓦倉庫と呼ばれるこの建物は、古い街並みを残す弘前の中心地にあって極めて異彩を放つ。現在は弘前市が所有し、今後は美術展示施設として活用するために改修する計画だ。これまでも、弘前出身の世界的な美術家・奈良美智氏の個展が平成17年から平成19年にかけて3回開催されるなど、様々なイベントの会場として活用がなされてきた。
じつはこの建物、弘前における地酒とシードルの両方に深い関わりがある。
建てた人物は、福島藤助という。福島は大工から酒造家へ転じた異色の経歴を持つ人物で、明治40年(1907)に酒造りに適した良質の湧水のある清水町吉田野(現・弘前市吉野町)に、福島酒造を設立した。
福島は、当時、酒造りの一般的手法だった寒造りに対し、年間を通じて一定の質の酒造りができる「四季醸造」を導入。吉田野の酒造工場には冷却装置などが設けられ、四季の変化にとらわれず醸造場が一定の環境を保つための工夫がなされた。さらには、設備への電力供給を確保するため、水力発電所を建設するなど、巨額の費用を投じて四季醸造を軌道に乗せた。
福島の四季醸造法は、酒母なしでモロミをつくる、純粋酵母仕込みによるものであり、大正期の日本酒造界では革命的なものだったという。そうした努力が実を結び、福島酒造は一躍、東北随一の酒造業者に躍り出たのである。
吉野町という現在の地名も、福島酒造の清酒「吉野桜」にちなむものであり、弘前の人々にとって福島藤助の活躍は、深く記憶にとどめられるものであったのだろう。
吉野町に作られた福島酒造の酒蔵は、戦後、弘前発のシードル製造の拠点となった。
福島酒造から酒蔵を入手した吉井勇は、昭和29年、アサヒビールの支援を得て、「朝日シードル株式会社」を設立し、シードルの製造を開始。その後、朝日シードルから工場を借り受けたニッカウヰスキーが、弘前工場として、昭和40年までシードルを製造した。
現在は、岩木川添いの栄町に工場を置くニッカウヰスキーだが、ニッカシードルは現在も弘前工場で作られ続けている。青森産リンゴを原料とした、100%果汁のみの本格的なシードルであり、ファンも多いが、このシードルは、戦後、吉野町の酒蔵でスタートしたシードル造りからはじまっているのだ。そしてその背景には、伝統的にリンゴ酒造りの技術研鑽を積んできた弘前の酒造家たちの努力がある。
ちなみNHKの朝ドラ『マッサン』(平成26年)では、マッサンこと、竹鶴政孝が、ウイスキー造りの資金を捻出するために「りんご汁」「アップルワイン」を製造するエピソードも紹介された。じつは、ニッカウヰスキーの「りんごのお酒」を継承しているのが、弘前工場なのだ。マッサンのウイスキー造りの礎となった「りんごのお酒」は、日本一のりんご産地・弘前で受け継がれている。
このように、吉野町の煉瓦倉庫は、日本酒とシードルという弘前の酒文化発展の舞台となった場所なのだ。弘前を訪れることがあれば、街歩きの見どころのひとつとして、ぜひ、吉野町の煉瓦倉庫にも立ち寄ってほしい。できれば、地元の酒を味わいながら。
■弘前シードル工房kimori
住所/青森県弘前市大字清水富田字寺沢52-3(弘前市りんご公園内)
TEL/0172-88-8936
■吉野町の吉井酒造煉瓦倉庫跡
住所/青森県弘前市大字吉野町2-1
文/小石川透(弘前市文化財課)