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【入江泰吉が見た奈良・大和路を歩く】第3回 写真家が生涯追いかけた斑鳩の名塔と白い道

戦後、ひたすら奈良・大和路の風景、仏像、行事などを撮り続けた写真家、入江泰吉(いりえ・たいきち 1905~1992)。その後の写真界に多大な影響を与えた彼の作品は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に保存・展示されている。現在、同美術館では入江泰吉生誕110年を記念して『回顧 入江泰吉の仕事』展を開催。戦前の文楽の写真から亡くなる直前の作品まで、全127点が鑑賞できる。その中から代表的な作品を取り上げ、入江泰吉の活躍の軌跡と大和路の知られざる魅力を案内する。

「斑鳩の里落陽(法隆寺)」。入江泰吉の代表的な塔の遠望。(1980年)

「斑鳩の里落陽(法隆寺)」(1980年)。入江泰吉の代表的な塔の遠望。

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斑鳩周辺の地図

 

現在、開催中の『回顧 入江泰吉の仕事』展では、多くのモノクロ写真が展示されている。入江が初めてカラー撮影をしたのは、昭和32年(1957)のこと。すでに52歳になっていた。写真界ではその数年前からカラーが中心になっていたが、入江はなかなかカラーに馴染めなかった。

なぜなら、《長年なじんできたモノクローム写真に愛着があったこと、もう一つは、モノクローム的に見る習性に育った目で、カラーの世界が見えるだろうか》(『入江泰吉写真全集8』)と悩んだからである。

入江は昭和33年(1958)、小林秀雄の勧めで初の本格的写真集『大和路』(東京創元社)を上梓する。それは好評を博し版を重ね、35年には『大和路 第二集』を刊行した。この2冊はいずれもモノクロである。

今、入江のモノクロ写真を見ると、カラーに囲まれた現代人には却って新鮮に感じる面もある。さらに、今では失われた大和路の光景が焼きこまれており、作品からは何よりもなつかしさが沸き起こってくる。

「斑鳩の道」。入江のモノクロにはしばしば画面奥へと延びる道が登場する。(1953年頃 *)(*は展示作品)

「斑鳩の道」(1953年頃 *)。入江のモノクロにはしばしば画面奥へと延びる道が登場する(*は展示作品)。

 

中でも印象深いのが、斑鳩(いかるが)の白い道である。

入江と親交のあった作家で随筆家の白洲正子は、こうした入江のモノクロ写真を見て、こんな感想を抱いた。

《畑の中を白い道がゆるやかにめぐっており、…おもえば私も何度このような道を往き来したことか。何を考えていたのだろう。戦中から戦後へかけてのことだから、今は巧く思い出せないが、失われた祖国を求めて、といったような綺麗事では言い現せない寂しさを感じていた。おそらく入江さんも、同じような思いを抱いて、雲ひとつない大和の広い空のもとをさまよっていられたのではあるまいか》(入江泰吉写真集『回想の大和路』所収「風景の中に歴史を」より)。
 
入江泰吉が重いカメラを担いで斑鳩一帯を歩き回ったのは、以前紹介したように亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』に負うところが大きい。入江は本格的な仏像撮影に入る前、この書を携え斑鳩の白い道を歩き回った。

入江は後に志賀直哉から亀井を紹介され、家族でつきあうまでになった。『大和古寺風物誌』は戦前の刊行だが、戦後も版を重ね、入江の写真が掲載されるようになった。

右が亀井勝一郎、中央が入江夫人。

 

そんな斑鳩の中で入江泰吉がもっとも心惹かれたのは、塔のある風景である。

斑鳩には飛鳥時代創建の法隆寺(ほうりゅうじ)、法起寺(ほうきじ)、法輪寺(ほうりんじ)の三名塔がそびえたっていた。いずれも聖徳太子ゆかりの寺である。塔の魅力を発見したのは亀井勝一郎である。彼は『大和古寺風物誌』の中で、塔の美しさを次のように謳いあげている。

《ああ、塔がみえる、塔がみえる。
――そう思ったとき、その場で車をすてて、塔をめざしてまっすぐに歩いて行く。これが古寺巡礼の風情というものではなかろうかと思う。おそらく古人も、遥かに塔を望みながら、誘われるごとく引き寄せられて行ったに相違ない》

「斑鳩の里落陽(法隆寺)」。絵に描いたような雲の形状、いまにも沈み込む夕陽、見事なシャッターチャンスである。(1980年 *)

「斑鳩の里落陽(法隆寺)」(1980年 *)。絵に描いたような雲の形状、いまにも沈み込む夕陽、見事なシャッターチャンスである。

入江泰吉には何枚もの古塔の作品がある。その代表が「斑鳩の落陽(法隆寺)」である。夕陽を背景にシルエットとなって浮かび立つ法隆寺の五重塔。塔の上には雲が流れ、その合間から赤・黄・青の空のグラデーションが姿をのぞかせる。何度も足を運ばなければ、こんな風景には出会えない。入江は毎年同じ季節に同じ場所に出かけ、何とかシャッターチャンスを捉えようとした。それは執念を越えた強い意思そのものである。

「法起寺の塔を望む」。三重塔は1300年の間、稲田のなかに立ち続けている。(1964年頃)

「法起寺の塔を望む」(1964年頃)。三重塔は1300年の間、稲田の中に立ち続けている。

 

法隆寺から西へ1kmほど行ったところに法起寺が立つ。この地は聖徳太子の岡本宮跡とされ、太子が亡くなったあと法起寺が営まれた。

今は三重塔を残すのみだが、その塔は法隆寺五重塔との共通点が多い。例えば初層・二層・三層の大きさは、法隆寺五重塔の初層・三層・五層とほぼ同じである。また、細部にも類似点が多く、古代の斑鳩の匠が聖徳太子を偲び建立したことをうかがわせる。

「法起寺深秋」。正面奥にかすかに三重塔が見える。(1984年)

「法起寺深秋」(1984年)。正面奥にかすかに三重塔が見える。

入江は斑鳩のすすきにこだわっていた。あえて風が強い日にでかけ、舞うように揺れ動くすすきにカメラを向けた。そして、その背景に塔をおさめた。作品によっては三重塔がほとんどかすんでしまっており、いわれなければその存在に誰も気がつかない。

自分の意思によるのではなく、自然の力に任せて動くすすき。その果てにかすんで見える古塔。入江はそんな風景に、激動の古代史を生きた人々の姿を見ていたのではないだろうか。

「法輪寺三重塔」。昭和40年の再建。寺の創建は推古天皇30年(622)説と天智天皇9年(670)説がある。(1985年)

「法輪寺三重塔」。昭和40年の再建。寺の創建は推古天皇30年(622)説と天智天皇9年(670)説がある。(1985年)

 
作家・幸田文と法輪寺三重塔

昭和19年(1944)7月21日、斑鳩の地に大事件が起こった。落雷により法輪寺の塔が焼失してしまったのである。幸いにも塔は狭い境内の空き地に燃え落ち、講堂などへの類焼を免れた。

しかし、世は戦争の真っ最中。戦後も耐乏生活が続き、再建の目途は立たなかった。

時が過ぎ昭和40年の夏、作家の幸田文(こうだ・あや)は立ち寄った岩波書店で「塔」という言葉を耳にした。文の父・幸田露伴(ろはん)は昭和2年(1927)に、わずか25歳で名作『五重塔』を世に送った。その小説は版を重ね、露伴亡きあとの幸田家にはいくばくかの糧となった。そのため文は「塔」という言葉の響きに敏感になっていた。

「何のことですか」と文が尋ねると、法輪寺三重塔の再建計画が挫折しそうだという。いくら浄財を集めても、高度成長期の物価高騰に追いつかないのだ。それを聞いた文は、すぐに法輪寺へ出かけた。住職の井上慶覚(いのうえ・けいかく)に会い、古建築の図面を見せてもらった。

4年後、住職は亡くなり、次男の康世(こうせい)が父の遺志を継いだ。文は自分ができる範囲での資金集めを決意した。苦手だった講演を引き受け、原稿料も資金の足しにした。さらに1年間、法隆寺の門前に間借りし、工事現場にも足を運んだ。当時の文の年譜を見ると、日帰りを含め何度も奈良と東京の間を往復している。

昭和50年11月4日、三重塔の落慶法要が行なわれた。斑鳩の三名塔は30年ぶりに勢揃いしたのである。

「斑鳩れんげ畑」。斑鳩の春の風物詩的景観。

「斑鳩れんげ畑」(1970年頃 )。斑鳩の春の風物詩的景観である。

斑鳩に春が訪れると、畑一面にれんげの花が咲く。入江はその色の広がりを毎年楽しみにしていた。春霞の彼方にはかすかに塔が見える。入江の作品はれんげが主役のように見えるが、やはり塔を狙ったに違いない。戦災に打ちひしがれていた入江を救ってくれたのは、いつも凛(りん)として立っていた斑鳩の塔だったからである。

 

 

入江泰吉記念奈良市写真美術館。

入江泰吉記念奈良市写真美術館。


入江泰吉記念奈良市写真美術館

生誕110年「回顧 入江泰吉の仕事」
2015年10月10日(土)~12月23日(水・祝)
住所/奈良市高畑町600-1
0742・22・9811
http://irietaikichi.jp
時間/9時30分~17時(入館は16時30分まで)
観覧料/一般500円
駐車場/美術館から南へ約50m(普通車39台まで駐車可能)
アクセス/JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「破石徒歩約10分、新薬師寺西側
入江泰吉記念奈良市写真美術館の公式サイト

 

発売中の『回顧 入江泰吉の仕事』(光村推古書院)。展覧会の展示作品と未発表作品など367点が収録されている。3800円+税。書店または美術館で購入できる。

展覧会の展示作品と未発表作品など367点が収録されている『回顧 入江泰吉の仕事』(光村推古書院 3800円+税)。書店または入江泰吉記念奈良市写真美術館で購入できる。

 
文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。
地図製作/蓬生雄司

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