■優雅なグリルクラスと新旧のアジアを楽しむ
現在のクルーズ船の主な目的は娯楽性重視の観光旅行ですが、19世紀後半から20世紀半ばにかけて大西洋航路で活躍した客船達の最大の使命は人や物を運ぶ輸送でした。乗船目的も、移住、仕事、旅行など千差万別なら、乗客たちの経済・生活環境も千差万別。そこで、各目的に合わせ、船内にはファーストクラス、ツーリストクラスなどのクラス分けが行なわれました。
創業の歴史が大西洋定期航路に端を発するキュナード・ラインの客船『クイーン・エリザベス』は、今も当時の名残を残す数少ない客船の一つです。大きな特徴は使用する客室のカテゴリーにより、専用レストランが異なること。客室のカテゴリー順に高額な方から、クイーンズ・グリル、プリンセス・グリル、ブリタニア・クラブ、ブリタニア・レストランの4段階に分かれ、この中のクイーンズ・グリルとプリンセス・グリルは「グリルクラス」と呼ばれ、特別なラウンジやテラスなどの専用スペースを使用することができます。
クイーンズ・グリルとプリンセス・グリルは11デッキ(11階)にあり、2つのグリルの間を噴水のあるザ・コートヤード(中庭)が結び、天気の良い日は、屋外の中庭のパラソルの下でランチを食べるのが人気です。
専用のザ・グリルズ・ラウンジでは、コーヒーや紅茶が無料で提供され、私の好物がアイスラテだと知ると、次からは何も言わずともアイスラテが出てくる極上のサービスが振る舞われ、こちらの好みを先取りしてくれる居心地の良さを感じました。専用ラウンジにはグリルクラス担当コンシェルジェも待機し、グリルゲストの名前入りレターセットの作成や、上陸ツアーの手配などをしてくれます。
12デッキ(12階)には、専用のザ・グリルズ・テラスがあり、一段高い見晴らし台には望遠鏡も完備しています。ここは日光浴や昼寝に最適のスペース。デッキチェアでうたた寝していると、目覚めと共にフルーツやアイスクリームが届き、ちょっとお腹がすいたなと思った時にサンドイッチの巡回サービスが登場するなど、ぜいたくな気分を満喫させてくれました。さらに暑い日には冷たいおしぼりや日焼け止めのサービスまであり、まさに至れり尽くせりです。
総料理長に尋ねたところ、伝統を受け継ぐ、『クイーン・エリザベス』の名物料理は、ドーバーソール(ドーバー産舌平目)のムニエル、鴨のオレンジソース、骨付き子羊のロースト、クレープに熱いソースをかけるクレープシュゼットなどだそうですが、グリルクラスの食堂では、これらの料理がワゴンサービスで行なわれます。例えば、舌平目はテーブル傍のワゴンで温めながら骨を外し、子羊は華やかにフランべ(酒をかけ火をつけてアルコール分を飛ばす調理法)の演出を加え総仕上げ。デザートにクレープシュゼットを注文した時は、炎と共に香り立つオレンジとグランマニエに酔いしれました。
クイーンズ・グリル、プリンセス・グリルは、共に日替わりの選択式メニューのほかに、定番のアラカルトメニューがありますが、やはり、船内で一番上級のクイーンズ・グリルの方が種類が多く、スペシャルオーダーも幅広く受け付けてくれます。さらに、クイーンズ・グリルの客室にはバトラー(執事)のサービスが付き、夕方にはカナッペが配達され、客室内のバーや冷蔵庫の飲み物も無料となっています。
3月26日、『クイーン・エリザベス』は中国のアモイまでやってきました。台湾の対岸に位置するアモイは、かつて東南アジアとの貿易拠点として栄え、現在は中華人民共和国の経済特区となりました。ビルが並ぶ新市街には成長する町の勢いがありますが、その中にできた白鷺州公園には花や木が茂り「新市街の緑の肺」と言われているそうです。公園の湖上には、この町の象徴である白鷺観音の座像が長い髪を水辺に垂らすように浮かんでいました。
次の寄港地は香港です。特に船で訪れる香港は、香港島と九龍の風景を割るように進む入港出港のシーンも大きな楽しみ。今回着岸した「海運大厦(オーシャンターミナル)」は、若者に人気があるハーバーシティーに隣接しているので、買い物や食事にとても便利な場所です。夜は日本の友人に招待され、老舗ホテル『ザ・ペニンシュラ香港』のフランス料理レストラン『ガディス』で豪華な晩餐会となりました。そして、同じレストランには、見慣れた『クイーン・エリザベス』の乗客たちの顔もありました。
『ザ・ペニンシュラ香港』は、ヨーロッパからの船や人を迎える玄関口として、1928年に開業したそうですが、当時の面影を残す本館には重厚な雰囲気が漂っていました。
3月31日、朝目覚めると、『クイーン・エリザベス』は幽玄の海をさまよっていました。 ここは、ベトナムのハロン湾。大小の奇岩と静かに浮かぶ小舟が描く濃淡の墨絵のような風景の中を女王船はしずしずと進みました。昔、ベトナムが中国に侵攻された時、龍が現れ、敵を破り、口から吐き出した火が大小の奇岩となったという伝説の湾は、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
1月に世界一周が始まり『クイーン・エリザベス』での暮らしも3カ月近くが経ちました。船内生活の重要な情報源は、毎夜各部屋に届く「デイリープログラム」という船内新聞です。翌日の催し物のスケジュールや、重要なお知らせ、その他レストラン、バー、お店の開店時間等が書かれているので、寝る前に翌日の船内新聞を確認することが、円滑なクルーズ生活の決め手となります。
3月31日の夜、翌日の「デイリープログラム」を見ていると面白い記事と写真を発見しました。
「4月1日は船内で飼っている猫トリキシの誕生日です。『クイーン・エリザベス』のマスコット的存在のペット猫トリキシは大のチョコレート好き。そこで、フロントにチョコレート寄付箱を設けますので、誕生日プレゼントに、是非トリキシにチョコレートの寄付を」と書いてあったのです。船内で猫を飼っていることを知らなかった私は、翌日、チョコレートを持ってフロントへ。そこには、猫の写真を貼り付けたチョコレート寄付箱が置かれていました。
私は、部屋から持ってきたチョコレートを3枚寄付し、乗組員の一人に「船内で猫を飼っているなんて初めて聞いたので、いつか写真を撮らせて下さい」というと、いきなり相手が笑い出し「今日は4月1日。エイプリルフール!!!」。まんまと私は、船上のエイプリルフールに引っかかったわけです。堅苦しいイメージをもたれやすい客船『クイーン・エリザベス』ですが、実際は、このように愉快な出来事もたくさん起こっています。
ベトナムで2つ目の寄港地となったチャンメイは、17世紀にグエン氏の居城を中心に城下町が築かれ、グエン王朝の王都として栄えた都市フエへの海からの入り口。さらに、近郊には現代的なザ・ラン・コー・ビーチリゾートもあり、白砂のビーチに、ハイビスカスの茂るコテージが点在し、波音を聞きながら浜辺でマッサージが受けられるスパも完備していました。
そして、東南アジアを代表するシンガポールへ。発展著しい大都会は、クルーズ客船誘致にも積極的で、新しい港をマリーナ地区に建設しました。ここに停泊すると船上からは観覧車シンガポール・フライヤーや、屋上に船をかたどったホテル『マリーナ・ベイ・サンズ』など新しいシンガポール名物が一望できます。やがて、町が闇に染まる午後8時、『クイーン・エリザベス』は、それらが彩る斬新な夜景に見送られ、隣国マレーシアの2か所の寄港地ポートケランとペナン島を目指して出港しました。
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