■マウイ島でクジラとランチ、赤道を越え南太平洋の王国トンガへ
2月11日、『クイーン・エリザベス』は、ハワイのオアフ島ホノルル港に到着しました。 迎えてくれたのは1926年に建造されたアロハタワー。今もなお豪華客船に乗り、海から訪れる人々を見守るホノルル港の象徴です。
港から徒歩約15分のところには、アメリカ合衆国唯一の宮殿イオラニパレスがあります。 1882年ハワイ王国7代目カラカウア王の命により建てられたパレスは、公式晩さん会の行なわれた正餐の間、舞踏会が開かれた王座の間など豪華絢爛な上に、ハワイ初の電話や照明設備も備えた進歩的な宮殿でもありました。カラカウア王は「世界一周をした王様」としても有名で、1881年3月に、横浜港にも寄港し、赤坂離宮で明治天皇との会見も行なわれたそうです。
ホノルル出航前に、ハワイ最大級のフラ学校ハラウ・フラ・オラナの「子供フラショー」が船上劇場で開催されました。実は、同じ子供達のフラショーは、昨年7月ホノルルに入港した『飛鳥II』世界一周クルーズでも上演されました。約7カ月ぶりに会った子供達は、踊りも容姿も見事に成長していて、懐かしさが込み上げました。そして、子供たちの愛らしく美しいフラに、観客総立ちのスタンディングオベ―ションが贈られました。
翌日は捕鯨基地として栄えた歴史を持つマウイ島のラハイナです。
この近海は12月から4月がザトウクジラの回遊シーズン。そこで朝6時から、自室のベランダで、クジラ探しを始めました。するとあちこちで潮の吹きあがるのを発見し、船と陸の間にクジラがいることをはっきりと感じました。
『クイーン・エリザベス』は、大型客船なのでラハイナでは沖に停泊して、テンダーボート(はしけ)で上陸となりました。船着き場のすぐそばには、かつて裁判所だったコートハウスが、今は博物館兼ビジターセンターとなっていて、捕鯨で栄えたこの地の変遷を知ることができました。裏手にはアメリカ一巨大なバニアン樹が植わる広場があり、木陰を抜けるそよ風が人々の憩いの場となっています。
昼には船に戻り、さきほど散歩したラハイナの海に面した通りを今度は船上から眺めながらランチタイムとなりました。大きなガラス窓に囲まれた眺望抜群のレストランで、ミネストローネとキッシュの欧風ランチを食べていると、突如、窓の傍にザトウクジラが2頭現れ、しばらく、仲良くランデブー。最後に尻尾を高く上げるテールスラップを見せて、去って行きました。わずか数分間の出来事でしたが「クジラと昼食」という素敵なひとときになりました。
その後『クイーン・エリザベス』は太平洋を南下し、2月16日には「赤道祭」が開かれました。これは、赤道通過に際し海の神ネプチューンに通行許可を貰うという、寸劇仕立ての客船恒例行事ですが、各船により内容は様々です。
『クイーン・エリザベス』では、ネプチューン夫妻が登場し、その前で、初めて赤道を通る乗客の中から有志が、生の魚にキスをするという試練を与えられました。その後、船上裁判が始まり有罪となった生贄が、スパゲッティー、ジュース、クリームなどを塗りたくられ、プールに投げ込まれる罰を受けます。そして、とうとうアリスター・クラーク船長まで連行され、頭からトマトジュースをかけられクリームまみれになってプールに突き落とされました。しかし、その結果ネプチューンの許可を貰うことができた『クイーン・エリザベス』は無事に赤道を通過しました。
2月18日、南半球で最初の寄港地・米領サモアのパゴパゴに到着しました。サモア諸島には紀元前1000年ごろから人が住んでいたといわれていますが、ヨーロッパの探検隊が発見したのは18世紀に入ってからでした。そして19世紀後半、ベルリン条約により、ドイツとアメリカがサモア諸島を東西で分割することを決め、東半分の小さな島々が米領サモアとなりました。パゴパゴは、その中の1つの島ツツイラ島にある中心地で、空港もあります。島内の観光バスは、窓ガラスがない旧式なものですが、花や棕櫚の葉を飾りつけ、精一杯歓迎の意味を表していました。
町一番の名所は、海に浮かぶ2つの岩ファトゥ・マ・フティ。恋に落ちた若い二人が男岩と女岩になったという悲恋伝説にまつわる景勝地です。その後、郊外の集落に赴き、サモアに伝わるカヴァの儀式にも参加しました(下写真)。カヴァとはコショウ科の灌木から造った飲み物で、酋長が要人を迎える時には、カヴァを酌み交わす風習があるそうです。実際になめてみると白濁した苦みのある液体でした。さらに、サモアの踊りとココナツジュースでもてなされ、宴もたけなわとなりました。
翌日は「2月19日」が消えるという不思議な現象が起こりました。これは日付変更線通過による時差調整のためで、2月18日から一夜明けると、船上では2月20日になっているというわけです。
実はこの船には2月19日が誕生日の人が10人以上乗っていました。朝の船上TV番組「ライズ&シャイン」では、毎日その日に誕生日を迎える乗客と乗組員の名前を発表しますが、2月20日の朝の番組には、2月19日が誕生日だった乗客の一人が代表で出演し「今年は誕生日がなかったから、71歳なのか70歳なのか自分でもわからない」という感想を述べ、司会者は「この日が誕生日の人の年齢がどうなるのかはクルーズの永遠の謎です」と苦笑い。この海域は、赤道や日付変更線など目に見えない線だらけ。そこを渡る航海ならではの摩訶不思議な面白さを堪能しました。
そして、2月21日『クイーン・エリザベス』は南海に浮かぶ王国トンガに初寄港しました。 無人島を含め大小170余の島が構成するトンガ王国の中心地はトンガタプ島にある首都ヌクアロファです。 郊外にあるホウマの潮吹き穴は、海岸線のあちこちに通気孔があり、「ボー、ボー」という音と共に吹きあがる潮吹きは「酋長の喉笛」とも呼ばれています。 オホレイビーチの近くには、ヒナという女性が恋人を待ち続けながら亡くなったという伝説のヒナ洞窟があります。石灰岩でできた天然の祠のような洞窟内ではファイアーダンスが上演され、薄暗い中に浮かび上がる炎が神秘的でした。
トンガ王国は英国ともゆかりが深く、トンガ国民から敬愛されたサロ―テ女王(在位1918年~1965年)は、エリザベスII世女王の戴冠式に出席し、雨の中、無蓋馬車に乗り笑顔で手を振ったことが、英国民の間でも有名となったそうです。今回はサロ―テ女王のお孫さんにあたるHRH PRINCESS Siu‘ilkutapuが、英国の客船『クイーン・エリザベス』を訪問され、初寄港歓迎の意を表されました。
やがて、南太平洋に浮かぶ孤高の王国トンガを後に、『クイーン・エリザベス』は、ニュージーランドのタラウンガに向けて出航しました。
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