文・写真/柳沢有紀夫(海外書き人クラブ/オーストラリア在住ライター)

「この暑い中、彼らはいったい何を思っていたのだろう?」。鬱蒼としたジャングルというほどではないにしても木々に囲まれたその史跡を訪ねている間中、私はずっとそんなことを考えていた。

復元された高射砲。兵士たちは空を見上げて何を考えていたのだろうか。

オーストラリア大陸の北東端と、その北にあるニューギニア島。両者に挟まれたこの海域は「トレス海峡」、そこに点在する数多くの島々は「トレス海峡諸島」と呼ばれる。古くからそこに住んでいた人々は「トレス海峡諸島人」と称され、以前の記事で紹介した「アボリジナル」(かつては「アボリジニ」と呼ばれることが多かったが蔑称とされて、最近はこの呼び名が一般的になっている)とはまた別の先住民だ。

その「トレス海峡諸島」の1つが、私が訪れた「ホーン島」だ。日本からの直行便も飛ぶケアンズ国際空港で約100人乗りのプロペラ機の国内線に乗り換えて約1時間半。北北西におよそ600キロの距離だ。トレス海峡諸島の行政や経済の中心はここからさらに船着き場に移動して、船で15分のところにある「木曜島」とされる。だが本土の小都市ケアンズと唯一毎日3便の航空便で結ばれていることから、このホーン島こそがまぎれもない「玄関口」だ。

ホーン島空港の待合室。左手がチェックインカウンター。たったこれだけの広さだ。

2021年に行われた国勢調査によるとこの島の総人口は533人。トレス海峡諸島全体の玄関口とはいえ、なぜ100人乗りの飛行機が着陸できる空港があるのか不思議に感じるほど、のどかな島だ。

だがそんな熱帯の楽園に突如現れる高射砲や塹壕。これらはいったいなんのためのものなのか?

島内のトレス海峡ヘリテージ社が催行する史跡ガイドツアーで、灌木地帯を進む。

じつはこのホーン島、オーストラリアでは北部準州の州都にて軍港があったダーウィンに次いで、第2次世界大戦中に日本軍から空爆を受けた場所である。そもそも「なぜ日本軍がオーストラリアに空爆?」と疑問に思われる方もいるかもしれない。理由はオーストラリアが連合国の一員だったからだ。

当時の日本兵たちから「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と恐れられたほどの激戦区(約20万人投入された兵士のうち生きて日本の地を踏んだのはたった2万人ほど)であるニューギニアからこのホーン島までは、最も近いところで200キロも離れていない、まさに「目と鼻の先」だ。

塹壕の前で立ち止まり説明をしてくれるガイドさん。

そこでこの島にオーストラリア軍とアメリカ軍の空軍基地が設置された。さきほど触れたように人口わずか500人ほどの小さな島に100人乗りの飛行機が着陸できる空港があるのは、このときからの名残だ。

制空権を得ることは、その地域での戦闘を有利にするための絶対条件と言えるだろう。そして制空権を得るために最も有効な手段の一つが、敵の飛行機が飛び立てないようにするために格納庫と滑走路を破壊すること。

南方に進出していた日本軍はその定跡にのっとり、この島の空軍基地を主な目標として1942年3月14日を皮切りにゼロ戦と一式陸上攻撃機による8回にわたる空襲を行った。計500発の爆弾が落とされたと現地で受け取った小冊子には記されている。

史跡のあちこちにはこうした説明パネルもある。

連合軍としてもこの島の防衛は重要だった。先ほど記したようにニューギニア島上空の制空権を得るためでもある。だがさらには、もしもこの空軍基地を日本軍に奪われるようなことがあれば、ここを拠点に同国2大都市のシドニーやメルボルンも空爆圏内入るからだと、これもまた小冊子に記されている。開戦当時は破竹の勢いでシンガポールまで陥落させた日本軍は、それだけ脅威だったのだ。

日本軍のゼロ戦や一式陸上攻撃機を迎え撃った高射砲。そして空爆に備えた塹壕。それらは今、かつての形で修復および復元され、当時の様子を伝えている。

ガイドツアーのハイライトはこの高射砲。爆撃機を狙う高射砲は、逆に標的にもされただろう。

塹壕の中でしゃがみながら、一部雲に覆われた空を眺めてみた。今のように航空機の現在地をリアルタイムで追跡できるアプリがある時代ではない。雲の間からいつ姿を現すかわからない敵機に、ただひたすら備える時間。

塹壕はよくよく考えれば空からは丸見えだ。

「嫌だな」

私の口からは思わずそんなつぶやきが漏れた。資料によるとこの島に住む先住民族であるトレス海峡諸島人たちの多くが軍を手伝ったというが、ほとんどの軍人たちはオーストラリア本土、しかも遠く離れたシドニーやメルボルンやブリスベンから来た者たちであったに違いない。

故郷から遠く離れて、死の恐怖とも戦わなければならない日々。

地下壕への入口。雨水がたまって中に入れなかった。当時も熱帯特有の通り雨には苦労したに違いない。

「嫌だな」。私の口からはもう一度そんな言葉が漏れた。だが「嫌」で済ませられる話ではないことくらい、戦争を知らない世代である私にもわかる。

この史跡へのガイドツアーを催行するのは「トレス海峡ヘリテージ博物館」。その建物の一角には当時の資料が展示されている。

「トレス海峡ヘリテージ博物館」の外観。なんとも素朴な建物。
「トレス海峡ヘリテージ博物館」の内部。日本軍側に関する資料も少し展示されていた。

日本とオーストラリア。故郷から遠く離れた両国の兵士たちに思いを馳せながら、今の日豪の平和な関係をかみしめた。

トレス諸島ヘリテージ社(Torres Strait Heritage) https://www.torresstraitheritage.com
インゼアステップス第2次世界大戦ツアー(‘In Their Steps’ WW2 tour)
数人のグループの場合1人当たり80豪ドル(約7700円)。
「トレス諸島ヘリテージ博物館」への入場も含む。島内の宿泊施設からの送迎付き。

文・写真/柳沢有紀夫 (オーストラリア在住ライター)
文筆家。慶応義塾大学文学部人間科学専攻卒。1999年にオーストラリア・ブリスベンに子育て移住。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の創設者兼お世話係。『値段から世界が見える!』(朝日新書)、『ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか?』(新潮文庫)、『世界ノ怖イ話』(角川つばさ文庫)など同会のメンバーの協力を仰いだ著作も多数。

 

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