文・写真/御影実(オーストリア在住ライター/海外書き人クラブ)
ローマ神話の愛と美の女神「ヴィーナス」は、「ミロのヴィーナス」等、数多くの美術品に登場するモチーフだ。しかし、人類最古の芸術作品の一つ「ヴィレンドルフのヴィーナス」は、「ヴィーナス」の名を冠してはいるものの、奇妙にデフォルメされた特徴的な体形をしている。
世界史の教科書にも登場する小さな石像「ヴィレンドルフのヴィーナス」は、何のために作られ、どこから来たのか、そして誰を表しているのか。この石の素材を巡る新たな発見により、3万年前の欧州の石器時代の謎が紐解かれようとしている。
ヴィーナスの発掘地を訪ねて
1908年、オーストリアのドナウ河畔の鉄道工事現場である「ヴィレンドルフ」という村で、小さな女性の石像が発見された。石灰石で作られた、たった11センチの像だ。胸部と腹部と腰が大きく、顔がなく、足が先細りとなっている、特徴的な形状が印象的だ。
発掘現場ヴィレンドルフへは、このヴィーナス像発掘のきっかけとなった「ヴァッハウ鉄道」(https://serai.jp/tour/351523)で訪れることができる。
観光客が多く利用する区間を過ぎ、無人駅に降り立つと、ドナウ川を見下ろす世界遺産ヴァッハウ渓谷の絶景が広がっている。この駅から徒歩5分ほどのところにある高台に、発掘現場がある。
ここでは、発掘された地層が保全されて展示されている他、巨大なレプリカの「ヴィーナス」像が立ち、発掘現場の鉄道とドナウ川を見下ろしている。
この石像は、約3万年前に作られたことが研究の結果判明した。現在はウィーン自然史博物館の専用の小部屋に展示されている。
欧州全土では、ヴィレンドルフのヴィーナスと類似した、いわゆる「ヴィーナス小像」が約140個も発見されている。
これらの小像の多くは2万6千年から2万1千年前に作られたものだが、5万5千年前のものも発見されており、ヴィレンドルフのヴィーナスはその中で最も有名な小像だ。これらの小像の特徴として、小さな頭、大きな胸部や臀部、先細りの足、細かく表現された髪型、省略された腕などの特徴がある。
ヴィーナスはどこから来た?
長らくヴィレンドルフのヴィーナスは、発掘地のドナウ河畔の石灰岩で掘られたとされてきた。しかし2022年2月に、素材の石に関する新しい研究が発表され、通説が覆ったのだ。
マイクロCTによってヴィーナス像の内部を調査したところ、内部にはジュラ紀の二枚貝の一部が発見された。この貝を含む石灰岩はオーストリアには存在しない。欧州中の石のサンプルが集められ、類似する石材の調査が始まった。
その結果、二つの地名が浮上した。一つ目は北イタリアのガルダ湖近辺、もう一つは直線距離で1,600キロも離れた東ウクライナだ。石材の性質は前者がより近い上、後者は距離が遠すぎるため、北イタリアがヴィーナス像の出身地の最有力候補となった。
しかし、北イタリアからオーストリアのヴァッハウ渓谷までの道のりも困難を極める。隣国とはいえ、アルプス山脈を越える730キロメートルの道のりだ。当時の人は、狩猟や収集のために川に沿って移動するノマドだった。アルプスを何世代も掛けて越え、ドナウ川沿いにたどり着いたのかもしれない。もしくは、アルプスを迂回して、ハンガリー側からパンノニア平原を超えてきた可能性もある。どちらにしても、石器時代の人間が簡単に成し遂げられる距離ではない。
ヴィーナス像の足は先細りで、自立することができないことからも、持ち運びの用途があったとされている。まさに、ノマドと生活を共にする小像だ。
石像の役割
ヴィレンドルフのヴィーナスの目的や用途については、儀式用、豊穣や性や美の象徴、お守り、女神像など諸説あり、研究者たちの間でも議論が重ねられてきた。
農耕以前の、狩猟や収集を生業とする石器時代のノマドは、移動を常とする生活のため、大きな荷物や小さな子供は足手まといになりうる。イタリアからアルプスを越えてきた狩猟民族にとってはなおさらだ。そのため、子沢山を避ける傾向にあり、「豊穣」は現代人が思うほど重要視されていなかったと研究者は見ている。
更に、女性の性的側面を象徴しているという説も否定されている。この像が発掘された100年以上前は、裸婦像自体がスキャンダルな時代だった。発掘当時のステレオタイプの女性の社会的役割を投影して「ヴィーナス」と名付けられたが、現在では「ヴィーナス」の表現を避け、研究者の間では「ヴィレンドルフの女性像」と呼ばれることが多い。
では、この像は何のために作られたのか? 多くの仮説や解釈があり、定説があるわけではないが、近年の発掘物や研究と照らし合わせると、「老賢女」や「祖母神」を表しているという説が有力となってきている。
石器時代の高齢女性は、医療や出産、栄養などに関する知識が豊富で、尊敬される存在だったとされる。村の文化を守り、伝えるという文化的側面を支えたことで、人類史にも大きく貢献したという見方が有力だ。
一方発掘物は、若い女性も、男性と共に槍を持って狩猟に参加していたことも物語っていて、「石器時代から男性は狩りをし、女性は洞窟で待っていた」という説は否定されつつある。実際イノシシなどの大きな獲物は日常的に獲れるものではなく、ウサギや鳥などを罠にかける狩猟が主だったため、男女の能力差はそれほど顕著ではなかったはずだ。
狩猟能力のある若い女性が男性と共に狩りに出かけ、年配の女性が村で子供達を教育しつつ、村の文化や健康を守る。このような石器時代のノマド生活をイメージするとき、「ヴィレンドルフの女性」像が尊敬すべき「老賢女」を表しているという説は説得力がある。
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ドナウ河畔で発掘された小さな石像は、石器時代にアルプスの向こうから旅をしてきた。欧州を旅する狩猟の民の生活は、「老賢女」の知識と叡智に支えられていたのかもしれない。
文・写真/御影実
オーストリア・ウィーン在住フォトライター。世界45カ国を旅し、『るるぶ』『ララチッタ』(JTB出版社)、阪急交通社など、数々の旅行メディアにオーストリアの情報を提供、寄稿。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。