文・写真/中野千恵子(海外書き人クラブ / インドネシア・ジャカルタ在住ライター)
日本では、身についてしまったよくないものを取る厄払いの儀式や、建物を建築する際に土地神を鎮めるための地鎮祭が行われている。実は、インドネシアのジャワ島にも、日本のこうした習慣に似た伝統的な厄払いの儀式、ルワタンがある。
ルワタンには2種類あり、一つは人の厄払いの「ルワタン・スクルタ」で、もう一つが大地の厄払いの「ルワタン・ブミ」だ。今回はこの2つのうち、ワヤンクリット(ジャワの影絵芝居)とお清めの2部構成で厳かに行われるルワタン・スクルタについてご紹介する。
10世紀から続くジャワならではの儀式
ルワタン・スクルタの歴史を簡単にひも解くと、10世紀のヒンドゥー王朝であるクディリ王朝時代には既に行われていたといわれる。16世紀にジャワにイスラム教が伝来し、王朝がイスラム王朝に変わった後もジャワ特有の慣習として残り、今でも王族から村の人々まで、幅広い範囲で執り行われている。
厄払いの対象となる人
ジャワでは厄がついている人を「スクルタ」と呼ぶ。スクルタに該当するのは、一人っ子、兄弟を失くして一人っ子になった人、兄弟(姉妹)全員が男子または女子、ふた子、正午に生まれた人、早産で生まれた人、日の出と同時に生まれた人など、実に45ケースもある。ルワタン・スクルタでは、ブトロコロという悪者の餌食になると考えられているスクルタの厄を払い、順調な人生を祈る。なお、ルワタン・スクルタは、年齢、性別、国籍、宗教を問わず、希望すれば誰でも受けることができる。
お香の香りの中で厳かに進む儀式
ルワタン・スクルタは日中に約4時間かけて行われる。儀式の大まかな構成は、前半が厄払い専用の物語でのワヤンクリット上演、後半がスクルタに聖水をかけて断髪するお清めで、儀式全体を取り仕切るのはダラン(ワヤンの人形遣い)だ。
会場には多くのお供え物が供えられ、あたりの空気が白くなるほどもうもうと香が焚かれ、神聖な雰囲気に包まれる。お供えは、生きた鳩や鶏、食物、伝統的台所用品、バティック(ジャワのろうけつ染め)など、生きるために必要なものが並ぶ。
儀式の全要素に込められた祈り
通常のワヤンクリット上演は娯楽的要素も強く、笑いを取るような場面もあるが、ルワタン・スクルタのワヤンはこれとは異なる。物語は、定番のラーマーヤナでもマハーバーラタでもない、「ムルワカラ」という厄払い専用のものが上演される。大まかな内容は、人間を食べる悪者ブトロコロに狙われるスクルタを救うために天界から神々が降りてきて、ダランとなってルワタンを行うというストーリーだ。
上演は約2時間で、お清め用の白装束を着たスクルタが影側から鑑賞する。ダランが身につけるバティックの柄は、「繁栄」の意味を持つスメン柄と決まっている。ワヤン後のお清めでは、特定の水源から採られた聖水に花びらを浮かべたものをダランがスクルタにかけ、髪の毛の一部を切って清める。儀式の最後には、心身から厄や邪気を解き放つため、鳩を空に放し、スクルタの白装束と切った髪は川や海に流す。
このように、ルワタン・スクルタでは、ワヤンの内容から、お供え、スクルタやダランの服装など、すべての面において厄払いの願いが込められている。
ルワタン・スクルタは、スクルタやその家族以外の一般の人も見学可能(ただし、生理中の女性は一定の距離を保つ必要がある)なので、ジャワを旅した時に偶然ルワタンの儀式に遭遇したら見学してみるといい。特別な物語によるワヤンクリットを鑑賞し、お香の深くかぐわしい香りに包まれれば、まるで自分まで清められたような、神聖な気持ちになれるだろう。
文・写真 / 中野千恵子(インドネシア・ジャカルタ在住ライター) 2002年よりインドネシア・ジャカルタ在住。在留邦人向け月刊誌「さらさ」編集長としてインドネシアの食、文化、観光などについて発信中。ジャワの伝統音楽ガムランにも精通。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。