文・写真/梅本昌男(海外書き人クラブ/タイ・バンコク在住ライター)
バンコクから北に約80キロの場所にあるアユタヤ。タイが「シャム」と呼ばれていた時代、14世紀半ばから18世紀半ばまでここにアユタヤ王朝の都があった。木の根に埋もれた仏頭が有名なワット・マハタート寺院などの遺跡が沢山残っていて、1991年には「古都アユタヤ」として世界遺産に登録されている。
チャオプラヤ川を利用した国際貿易で栄えたこの都には、当時、様々な国の人々が集まってきていた。日本人もそうだ。御朱印船貿易に携わった人々により築かれた日本人町には最盛期2,000~3,000人が住んでいたという。
この日本人町で大活躍をしたのが山田長政だ。天正18年(1590年)に駿河の国に生まれ、藩主の駕籠かきをしていたという。一念発起して1612年に御朱印船に乗りシャムへと渡る。
シャムと近隣諸国との戦いに日本人傭兵隊の一員として参加、そこで頭角を現し、1617年には日本人町の頭領となる。更に1621年には約800人の傭兵隊の隊長に任命される。
傭兵隊の活躍が当時のソンタム王に認められ、長政は「オークヤー・セーナーピムック」という名前と官位を授かる。そして1630年にはアユタヤ近郊のナコーンシータマラート郡の太守に任命される。何という波乱万丈の人生だろうか!
長政は1631年に亡くなった(毒殺説もある)。日本人町自体も日本の鎖国に伴い衰退していき、18世紀初めには消滅した。
現在、日本人町の跡地は『アユタヤ日本人村』という施設になっている。メインの博物館にはアユタヤ王朝時代の貿易に絡んだ展示物がある他、現在、特別展示『山田長政とターオ・トーンキープマー』が催されている。
日本人町を含めた17世紀のアユタヤの地図、長政の生涯、日本刀の影響を受けたアユタヤの刀などが展示されている。
ちなみに、特別展示で同時に紹介されている「ターオ・トーンキープマー」は、日本人町で暮らしていたキリシタンを母に持つ日系人女性だ。アユタヤ王朝の高官と結婚したが、料理、特にお菓子の才能が認められ王宮でデザート作りを担当していた。その際、生み出したのが「フォーイトーン」と呼ばれる卵を使った素麺状のお菓子だ。今もタイで人気で市場でもスーパーでも買うことが出来る。
この日本人村最大のポイントはヴァーチャルリアリティツアーだろう。専用アプリをスマホやタブレットにダウンロード、QRコードを読み込み敷地内を歩くと、そこに最盛期の日本人村が出現するのだ!
江戸の町風の家々が並び、そこを丁髷に着物姿の日本人やシャム人、オランダ人が行き交っている。今この瞬間、自分が立っている場所の400年前の光景が広がっているのだ。
日本人村の西、貿易の要だったチャオプラヤ川には各国の船が進んでいる。御朱印船も姿を見せ、現在、河岸に設置されている桟橋を歩くと乗り込むことも出来る。そこで荷下ろしをしている労働者たちを見守っている人物がいる。山田長政だ。
このヴァーチャルリアリティツアー、日本の凸版印刷が技術提供している。現代の日本企業が仮想空間で日本人村を再現したというのも感慨深い。
スマホから目を離し、チャオプラヤ川に目を向ける。ちょうど、タグボートに曳かれた貨物船がそこを通っていた。
長政が亡くなり、日本人町が消え、栄華を極めたアユタヤ王朝が滅んでも、チャオプラヤ川は滔々と流れ続けている。
日本人村:https://www.japanesevillage.org/jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9D%91/
文・写真/梅本昌男(タイ・バンコク在住ライター)
タイを含めた東南アジア各国で取材、JAL機内誌アゴラなどに執筆。観光からビジネス、エンタテインメントまで幅広く網羅する。海外書き人クラブ会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。