池波正太郎の銀座日記に登場する、谷中の老舗「オーギョーチー」
そこでもうひとつの謎、愛玉を日本では台湾語の発音「オーギョーチー」と呼ぶいわれに目を向けることにする。すると作家の池波正太郎が現れ、池波と牧野博士の交流、彼の人生を描いた芝居や短編作品の存在が浮かび上がってきた。
食通としても知られる作家の人気エッセイ「銀座百景」をまとめた「池波正太郎の銀座日記」には、東京・谷中で50年ぶりにオーギョーチーを食べたと記されている。池波が訪れた1934年創業の老舗の名は、そのものずばりの「愛玉子」。現在も、メニューの愛玉子は「オーギョーチー」と書かれている。東京の老舗に倣い、食通の人気作家のエッセイも手伝って、日本では愛玉を台湾語で呼ぶのが定着したのかもしれない。
日記に詳しい日付はないが、前後の流れから少なくとも秋になる前のようだ。東京の残暑のある日に、池波正太郎も懐かしい味の愛玉で涼んだのだろうか。
生前に交流のあった牧野富太郎と池波正太郎
池波正太郎、台湾、牧野富太郎をキーワードに探していくと、短編集「武士(おとこ)の紋章」にたどり着く。池波が黒田如水や真田幸村、若き日の堀部安兵衛ら誰もが知る武士を描いた短編小説集の最後に、「牧野富太郎」と題した作品が収められていた。「鬼平犯科帳」では江戸時代に実在した火付盗賊方改の長谷川平蔵をモデルに血の通った魅力的な人物に描いた池波が、当時存命だった牧野富太郎の人柄に魅了されたのだという。作家は晩年の博士と交流を持ち、彼が深く関わった劇団にも牧野を主人公に芝居の脚本を書いていた。ならば小説「牧野富太郎」で描かれている台湾から帰国した時の様子は、本人から聞き取った史実に基づいたものかもしれない。博士が持ち帰ったのは植物の標本だけではなく、妻や娘たちへの台湾土産も、実在したのかもしれない。
かつては日本から台湾への玄関口だった基隆の港。牧野富太郎もここから台湾の地を踏んだ。その港に近い夜市の屋台で聞いた一言をきっかけに、作家と博士の交流があった事実にたどり着くことができるなんて。胸が躍り、のぼせ上がりそうになるのをクールダウンしてくれたのは、透き通って静かに揺れるレモンの味の愛玉だった。
臺灣生物多樣性資訊網 http://taibif.tw/zh/namecode/204856
牧野記念庭園情報サイト http://www.makinoteien.jp/index.html
文・写真/mimi (海外書き人クラブ/台北在住ライター)
19年間の香港生活後、2010年より台湾・台北在住。旅行や現地事情寄稿、ニュース翻訳、コーディネーターとして活動する。日本人の目から見た香港人の魅力や広東語のおもしろさを綴ったエッセイ集「當抹茶Latte遇上鴛鴦」を香港一丁文化より出版。海外書き人クラブ会員。(https://www.kaigaikakibito.com/)