文/倉田大輔
診察室で、膝をコンコンと叩かれたことはありませんか?
「打腱器」というハンマーを使い、腱反射を診て、「脚気(かっけ)を調べる」
と覚えている方もいらっしゃるでしょう。
通常、人の膝の下を叩くと足が跳ね上がりますが「膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)」、反応しない場合は「脚気」の疑いがあります。
日本特有の病気でかつては、亡国病や国民病と恐れられた「脚気」。
最近では稀な病気で忘れられがちですが、無視の出来ない病気です。
脚気で亡くなった、最初の日本人は誰?
日本で最初に「脚気」で亡くなった日本人は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」。
「脚気」を患いながら日本各地で戦い、足が腫れて、船の舵「当芸(たき)」の様になった場所を「当芸野(多芸野)岐阜県養老郡付近」、剣を杖にして歩いた坂が「杖衝坂(つえつきざか)三重県四日市市」という地名になりました。「三重」の名前も、戦い敗れた後の言葉「吾足如三重勾而甚疲(わが足は、三重のまがりの如くして、甚だ疲れたり)/古事記」から生まれました。最後は三重県亀山市で力尽き亡くなった、と伝わります。
日本史上では他に、江戸幕府の3代将軍「徳川家光」、14代将軍「徳川家茂」と夫人「皇女和宮」などが「脚気」で死亡しています。昔は貴族や高級武士など、今で言うセレブが罹かる病気だったのです。
家茂は暗殺か? 脚気か?
21歳の若さで死亡した徳川家茂は、「日米修好通商条約や兵庫開港、桜田門外の変、第1次・第2次長州征伐」など日本を揺るがす状況の中で将軍職を務めていたこと、死亡がすぐに公表されなかったことから、病死ではなく、暗殺疑惑がありました。
死の3か月前(慶応2年4月)頃から胸の痛みを訴え、その後、脚の腫れがひどくなり、座ることも出来なくなり、気力は旺盛だったものの、日増しに悪化し、大阪城滞在中の7月に亡くなりました。症状や経過から「脚気」が死因と考えられるのですが、当時は診断や治療方法も分かっていませんでした。
江戸煩いとは? 白米が脚気の原因だった?
セレブ病であった「脚気」が、日本で一般社会に知られるようになったのは、麦飯や玄米から、主食が白米になった元禄時代頃です。参勤交代や就職のため地方から江戸に上京した人達ばかりが罹ることから「江戸煩い」と呼ばれました(実際は京都でも流行)。
ここで、当時の一般的な武士や町人の食事献立を見てみましょう。
昼食 冷やご飯、味噌汁、漬物
夕食 冷やご飯、味噌汁、おかず1~2品(ヒジキ、芋やごぼうの煮物)
魚が膳に並んだのは裕福な家庭で、それでもせいぜい月2回程度でした。
米ばかりを食べ、副食(おかず)がとても乏しい食事ですが、都市部に住む一般庶民の食事としては江戸時代だけでなく明治時代まで同じように続きます。支給された副食代を故郷への仕送りに充てていた人も多かったようです。
農村部では米は年貢米に納めるため主食には出来ず、アワやヒエなど雑穀が主体だったこと、おかずとして農産物を食べていたことから「脚気」になりにくかったのです。
ビタミンB1を豊富に含む胚芽を取り除いた白米の食べ過ぎと副食の乏しさが「江戸煩い(脚気)」を引き起こしていたとは思いもよらないことだったでしょう。
ビタミンB1は、米をはじめ糖質の分解を助け、脳などのエネルギーを作り出す働きを持っています。
伝染病だと考えられていた? 亡国の脚気?
明治時代初め頃は、コッホやパスツールという細菌学者が登場し、世界的に「全ての病気は細菌が引き起こす」と考えられていました。東京大学で教えていたベルツ、京都で診療をしていたショイベら外国人医師達も、「脚気は伝染病である」と考えていたようです。白米を主食としない国の人には想像がつかない病気だったことでしょう。
明治15年にオーストラリアまで272日の遠洋航海した日本海軍の軍艦乗組員378人中169人が脚気に罹り、25人の死者が出ました(龍驤艦事件)。原因不明でしたが、試行錯誤の結果、麦飯を混ぜることで、平和な時は「脚気」発生は少なくなりました。ところが、食料輸送に危険が伴う戦争中になって再び問題になります。
日清戦争の日本陸軍では兵士の約18%に相当する4万人が「脚気」に罹り、海軍も「脚気」のため戦いに参加出来ない軍艦もあったほどです。
日露戦争では、脚気患者25万人、「脚気」による戦病死者2万7千8百人。当時、日本陸軍が保有していた常備人員は約16万人ですから、「脚気」恐るべしです。白米を食べないロシア帝国軍では、「脚気」はほとんど起きないことを考えると、日露戦争は最終的に日本が勝利したとはいえ、「脚気」が原因で負けていた可能性も否定は出来ません。
陸海軍の認識の違いは本当か?
「脚気」対策に関しては、英国留学から帰った海軍軍医「高木兼寛(東京慈恵会医科大学の創設者)」が、「西洋では脚気が発生しないこと」から、兵士の食事を米食からパンなど洋食に変えたことで、日本海軍での「脚気」は減少した。陸軍はのちの小説家、陸軍軍医「森鴎外」らが米食でも栄養素は足りていると考え、洋食化はじめ有効な脚気対策を行わなかったと言われています。海軍側が先に気付いたことを陸軍側が導入をためらったなど、陸海軍同士のライバル意識もあったとも伝わります。
実際には、1884年(明治17年)に海軍と陸軍で米麦混食が導入され、1891年(明治24年)には陸軍の脚気患者もほぼ消滅しました(1900年 陸軍省医務局調べ)。
日本陸軍も脚気対策に取り組み、きちんと成果を上げていたようです。
当時の日本陸軍では、1日に白米6合(ご飯中盛15杯分に相当)を支給していました。兵士たちが白米を好んだ点、戦地で米と麦を混合するのに手間がかかる点、麦に虫がつきやすい点、白米の方が麦飯より消化に良い点などから白米食を優先したようです。
さらに、料理器具や倉庫が軍艦内に備わっている海軍と異なり、行軍中は食料を担がなければならない陸軍の悩ましい事情もあったのかもしれませんね。
現代でも起こる脚気? 夏に発生しやすい?
「脚気」はビタミンB1欠乏による病気と判明し、食生活が改善した今の日本で罹る人は極めて少数ですが、決して消えた病気ではありません。
栄養が偏った食事やアルコールの飲み過ぎでビタミンB1が補充されない場合、ビタミンB1が体外に出る人工透析や利尿薬の長期使用などでは起こる可能性があります。
お酒を分解する時にもビタミンB1は消費されるので、お酒好きの方は注意が必要です。
代表的な症状は、「足のむくみ、全身のだるさ、腱反射異常(→膝を叩いても反応しない)」などです。7~9月の夏の期間に発症しやすいことが、1970年代の調査で分かりました。
菓子パンや麺類、清涼飲料水だけの食事をしていれば、現代でも発生する危険性はあります。
脚気がナゼ死の原因になるのか?
歴史上の人物や多くの人々は、「脚気」でどの様に命を奪われたのでしょう?
→ 心臓への負荷が増す → 心不全 → 脚気で死亡
ビタミンB1は、筋肉や心臓の筋肉、肝臓、腎臓、脳に多く存在し、小腸で吸収されますが、体内で作り出すことが出来ないので、食事などから持続的に補給する必要があります。
「脚気」は、日本中を困らせた病気です。ビタミンB1は、日々の食事などで摂取することで予防することが出来ます。暑くなると食欲も落ちてきますが、シッカリと食事は食べて下さいね。
文/倉田大輔
池袋さくらクリニック院長。日本抗加齢医学会 専門医、日本旅行医学会 認定医、日本温泉気候物理学会 温泉療法医、海洋安全医学・ヘルスツーリズム研究者、経営学修士(明治大学大学院経営学研究科)
2001年 日本大学医学部卒業後、形成外科・救急医療などを研鑚。
2006年 東京都保健医療公社(旧都立)大久保病院にて、
公的病院初の『若返り・アンチエイジング外来』を設立。
2007年 若返り医療や海外渡航医療を行う『池袋さくらクリニック』を開院。
「お肌や身体のアンチエイジング、歴史と健康」など講演活動、テレビやラジオ、雑誌などへのメディアに出演している。
医学的見地から『海上保安庁』海の安全啓発への執筆協力、「医学や健康・美容の視点」から地域資源を紹介する『人生に効く“美・食・宿”<国際観光施設協会>』を連載。自ら現場に赴き、取材執筆する医師。
東京商工会議所青年部理事
東京商工会議所 健康づくりスポーツ振興委員会委員
東京商工会議所 豊島支部観光分科会評議員
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