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【娘のきもち】いつも側に寄り添ってくれた父。彼氏のことも話せるぐらい、その距離は近かった~その1~

取材・文/ふじのあやこ

近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

「小さい頃からずっと味方でいてくれる、そんな父が昔からずっと大好きです」と語るのは、百合さん(仮名・30歳)。彼女は現在、都内にある企業でテレアポの仕事をしています。顎のラインで揃えられたボブヘアに白く透き通ったキメの細かい肌が印象的。服装はバルーンスリーブのニットに、膝丈のスカートを合わせており、シンプルな服装を好んでいるよう。実年齢よりも若く、ほんわかしたかわいい雰囲気のある女性です。

強面で寡黙な父の正体は口下手で子供思い。深夜のドライブが大好きだった

百合さんは岡山県出身で、両親と5歳下の弟との4人家族。父親は自営で建物の壁や土塀などを作る左官業をやっていて、母親は同じ会社で経理などを担当していたそう。職人肌の父親は強面な見た目から周囲には怖そうな人だと思われていたと言います。

「父親は中学を卒業してすぐに今の仕事に弟子入りしたようで、周囲からは親方と言われるような人でした。顔がちょっと怖くて、寡黙で、気軽に話しかけられるオーラは一切なし。でも、実際は本当に優しい人で、アルコールもまったく飲めない口下手タイプなんですよ。私や弟とはよく遊んでくれたし、まったく厳しくなかった。どちらかというと、家のことも母親のほうが仕切っていましたから」

子供の躾などもしっかり者の母親が率先して行っていたそうで、父親に厳しくされた記憶はほぼなし。そこには家族構成や、百合さんの出生にも少し関係があったそうです。

「実は父親は婿養子で私は母方の姓を名乗っています。父親は次男、母親は3姉妹の真ん中で、どうしてそうなったのかは知りませんが、母親が家を継ぐことになったようで。それに実家は最初から母方の祖父母宅の庭がつながっていて、二世帯住宅のような感じでした。

躾は母親からと言っても、母親からもそこまで厳しくされた記憶はありません。両親は20代前半に結婚したんですが、私ができたのは30歳になってからで、なかなか子供ができなかったみたいで。その影響もあるのか、両親の記憶は優しいものばかりが残っていますね」

小さい頃の父親との思い出を聞いたところ、あるほっこりしたエピソードを教えてくれました。

「私は小学生の低学年ぐらいまでずっと寝つきが悪い子だったんです。布団に入ってもぐずることが多くて。そんな時は仕事から帰った父が、ご飯など自分のことを後回しにしてドライブに連れてってくれていました。ドライブは私が寝るまで続けてくれて、長い時間走り続けてくれたこともあって。そして最後には寝てしまった私を父親は抱っこして布団まで連れて行ってくれるんです。小さい頃の記憶のほとんどはぼんやりした感じでしか残っていないのに、父親と一緒に車に乗っていることをとても鮮明に覚えているんですよ。それだけ嬉しかったってことなのかな」

オープンな家族関係。地方への進学も家族の話し合いで新幹線通学に

百合さんの反抗期は早く、小学校低学年から中学生で終わります。高校時代は父親との会話はやや減っていたようですが、母親とは一緒に買いものに出かけるほど仲良しだったと言います。高校で始めての彼氏ができた時も、その存在は家族にオープンだったとか。

「夕飯の食卓で普通に『今日彼氏が~』みたいな感じで両親に話していましたね。隠したことなんて一度もないかも。

一度家でバレンタインチョコレートを手作りしていたことがあったんですが、できあがったチョコを渡すため、父親が彼氏の家まで送ってくれたこともありました。それを友人に話したら、みんなびっくりすることが多くて。そのことさえ普通のことだと思っているくらい、友人みたいに距離が近かったんだと思います」

高校を卒業後に百合さんは神戸の大学に進学。実家は居心地が良く不満も一切なかったようですが、どうしても都会に出たい気持ちがあったとのこと。しかし大学進学時は弟の中学受験も重なったこともあり、神戸で生活を始めたのは大学3年から。2年間は岡山から神戸まで新幹線通学をしていたそうです。

「私は外大に進学したので、弟に英語を教えてほしいって両親からお願いされたんです。私もいざ大学に受かって神戸で一人暮らしを始めようと思った時にやっぱり少し不安だったので、実家から大学に通うことにしました。定期代は月に8万くらいかかっていました……。新幹線の時間はそんなに長くなかったので、通学は辛くはなかったです。3年から神戸で一人暮らしが始まるんですが、その時は本当に軽い気持ちで岡山を離れたんです。あれから10年も戻らないなんてあの頃はまったく想像していませんでした」

やりたいことをやりきった時に父親がくれた「お疲れさま」という言葉。いつでも味方でいてくれた両親だからこそ自分も素直に接することができた。

~その2~に続きます。】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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