別居から離婚まで5年かかった
妻に別居を切り出したときに、最初に言ったのは「近所の人たちに笑われるからやめてほしい」だったという。
「本当に話が噛み合わない人だったのだと。そのとき、上の息子が社会人で、下の娘は大学生でした。2人とも“お父さんの気持ち、わかる”と言ってくれたことにも勇気づけられた。
子供たちは、思春期にそれぞれ激しい反抗期があり、早々に妻の支配から脱していたんです。あのとき、妻は泣いたり怒ったりヒステリックになっていましたが、僕は“いいぞ、もっとやれ”と内心応援していた。彼らに小遣いをやったり、外に連れ出したりしていましたから」
別居するにしても、俊一さんは給料振り込み口座を妻に押さえられている。別居の資金は、小遣いを使わずに貯めたへそくりだという。
「ろくに使わず、20年くらい貯めていると数百万円になっているんですよ。あと、親の遺産として受け取った3000万円もありましたしね。別居が始まってから、会社には給料の半額を別口座に振り込んでもらえるように申請しました。妹に別居を報告すると、“お兄ちゃんの人生初の反抗期だね”と笑われました」
その後、妻から「頼むから帰ってきてほしい」「悪いところは改める」など手紙やLINEが来たという。
「僕は昔からそうなのですが、心の底から嫌になると、絶対にその人を近づけられない。生理的に無理だと思ってしまうのです。弁護士を通じて、離婚届を送ったのですが、妻はガンとして応じない。3年目に入り、このままでは離婚ができないと、家庭裁判所に離婚調停を申し立てました」
この場合、不貞や重要な問題などがなく、単なる性格の不一致になる。ただ、俊一さんの弁護士が、妻が給料口座を押さえていること、行動を支配していることが問題だと弁じてくれた。
「それでも妻は応じない。一筋縄ではいかないことがわかると、お金もマンションも全部やるから離婚するという破格の条件を提示しました。全部で1億以上の価値はあると思う。弁護士さんも“それは向こうに渡しすぎです”と言ってくれましたが、こっちも本気を出すしかない。それでやっと、妻は応じてくれた」
妻は、当然のように、定年までの給料と退職金の半額をよこせと言ってきたが、それは応じなかった。
「私はそれでもいいと思ったのですが、弁護士さんが“それはないだろう”と言ってくれた。流されて結婚したとはいえ、情はあるし、感謝もしています。ただ、お金にうるさいところも含め、やはり一緒に暮らしていくのは無理だったんだと気づきました」
その後も揉めながら、57歳のときに離婚が成立。俊一さんは60歳の定年まで仕事を続ける傍ら、定年後、タクシー運転手として働くことを想定し、自動車二種免許を取得。
「思っていたよりも簡単でした。タクシー運転手は、休みが取りやすく、自由度が高い仕事です。盛り場に寄り付かなければ、変なお客さんもいない。この2年間は公私共に快適です」
プライベートでも、かつての恋人とSNSを通じて再会し、男女の関係になっているという。
「彼女はなんでもやりっぱなしのだらしない人ですが、一緒にいて楽。彼女を見ていると、妻は家庭人としては超優秀だったのだと感じ、やっと感謝できるようになりました」
彼女と旅をしたり、飲み歩いたりして、毎日が輝くようだという。俊一さんが「遅れてきた青春」というが、人生100年時代、まだまだ先は長い。体力が続く限り、青春もまた続いていくのだ。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。
