自由な仕事は幸せだが、万引きがつらい
義也さんは、それから2年間、タオルの行商を続けている。だいたい、月・火・水は休みで、木曜早朝にお嫁さんの実家に行き、タオルを詰め込んで、木・金・土・日の4日間でスーパーや商業施設のワゴンコーナーにタオルを並べて売る。
「会社からもらったスーパーマーケットのリストは、東海や北陸、関西地方が多いのでそこに行きます。地方は廃業する店舗も多く、一度、東京のスーパーはどうだろうかと、開拓しようとしたら“申し込みはインターネットからで、企画書と登記簿謄本などを提出後、社内会議にかけてから1か月後にお返事します”と言われまして、都会はなかなか厳しいと感じました」
片道300〜500キロを走り、たった一人で売って歩くのは、大変な仕事のように思うが、慣れればそれほどでもない。
「まず、車の運転も、物を売るのも好き。会社員時代の、序列を競い合うような人間関係が苦手だったんだと気づきました。僕は性格的に、風来坊的にさすらう仕事が向いていた。そしてタオルは売りやすい商材だから、まずまず売れる。仕事を続けるうちに、有田焼の行商人と知り合いになったのですが、あちらは重く、保護材なども必要で大変だと言っていました」
仕事で辛いことは特にないが、万引きが辛いという。
「どこから見ても品がいい、初老の女性がうちのタオルを万引きしたんです。僕は全く気づかなかったんですが、手元を見た巡回警備員が取り押さえて、警察に引き渡したんです。その人は“もうしません”と泣いている。“許してあげてください。うちはいいですから”と思わず言ってしまいました」
すると、巡回警備員は「何言ってんの、この女は常習なの」と言い捨てた。生活に困っているわけではないのに、時々万引きをするのだ。
「どんな心の闇があるのかと思いましたよ。あとは、身の上話をしてくる80代のおじいさん、“男のくせにこんな仕事をして恥ずかしくないのか”と叱ってくる70代のおじいさんもいれば、別のおじいさんにはみかんなど農作物を差し入れしてもらったりね。ある方は、僕を一方的に憐んで、タオルを1万円分も買っていただいたり……この世は本当に多くの人がいる。人と会う仕事はこれほど面白いのかと思いますよ」
義也さんは、人に会い、話していれば必ずチャンスはやってくるという。定年後こそ、その小さなチャンスを見逃さず、「とりあえず、やってみる」という気持ちを持つといい。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。