2024年5月「風呂キャンセル界隈」という言葉が話題になった。これは、精神的、肉体的に疲労したり、気力がなくなったりして何週間も入浴していない状態を指すという。
その直後、東京都監察医務院が発表した、東京23区の若者(0~30代)の「孤独死」のデータが注目を集めた。2019年~2021年の3年間分を足すと、1人暮らしの自宅で亡くなった若者が1270人(発表数)もいたのだという。死因についての言及はないが、背景に「セルフネグレクト」も推測される。これは、「自分で自分の世話をしなくなる」という意味で、風呂に入らず、食事も取らず、生命を維持するための活動を放棄する状態を指している。
東海地方に住む芳子さん(75歳)は、「息子が亡くなってから、私もセルフネグレクトになりました。長女がいなければ、私は死んでいた」と語る。
納戸には宝石や着物が隠してあった
芳子さんは東海地方で農家を営む家に生まれた。実家はそれなりに裕福だったという。
「昔は稲作をしており、途中からみかん農園も営むようになりました。典型的な“昔の家”で、父と祖母が実権を握っており、母の影は薄かった。皆、忙しかったので、私や弟2人に厳しく言うことはありませんでした」
同居する祖母と両親からキツく言われていたのは「納戸に入ってはいけない」ことのみ。納戸について質問したり、興味を持つと父から平手打ちが飛んできた。芳子さんが10歳の頃、両親と祖母が泊まりがけで東京の親戚の結婚式に行ったことがあった。その日、芳子さんは鍵を開けて、中に入ったという。
「そこには、着物、婚礼衣装、帯留、宝石の指輪、腕時計、カメラ、掛け軸、茶器などがたくさん入っていたんです。10歳の子供なりに“このことは絶対に言ってはいけない”と思いました」
その瞬間、芳子さんは「両親と祖母は泥棒していると思った」と続けた。
「3人がおまわりさんに連れて行かれて、私と弟2人が孤児院に入れられてしまうと泣きました。それと同時に、“私がしっかりしていれば、この家を守れる”と、両親の手伝いや家事を一生懸命やったのです」
しかし、そんな日は来ず、納戸のことも忘れて、芳子さんは県立高校に入学する。中学卒業後に働く同級生も多い時代、進学できたのは親の経済力も大きかった。
「それなりに大きい農家で、人も使っていましたが、農家はさほど儲かる仕事ではない。高校3年生の時に父から“お前は大学に行くのか?”と聞かれ、“行かない”と言いました。何か悪いことをしたお金で、大学に行きたくなかったのです」
幼い頃のように、親が窃盗をしたとは思っていなかったが、不当な手段で得た金があることは感じていた。
「当時、弟2人も中学生と高校生になり、親がいなくても生活はできる程度になっている。母にはこっそりと“納戸を見たことがある”と打ち明けたのです。すると母は“あれは、東京の人からもらったものなの”と、苦しそうに言いました」
戦争末期から終戦直後、都市部は食糧不足に喘いでいた。食べるものがなく、配給だけで命を繋ごうとすれば、餓死が待っている。そこで、東京に住む人は、近郊の農家に着物や宝石などを農村に持ち込み、食べ物に替えた。
「私の地元には米も野菜もあり、卵もあったそうなんです。それを東京から買い出しに来た人がなけなしの財産を農家に出して交換した。母は“困った時はお互い様なのだから”と父に言ったそうなのですが、父は“もっと出せ”と迫り、わずかな作物しか渡さなかった」
父は血が繋がっている祖父母や子供たちに金を惜しまないが、血がつながらない母やその実家には冷淡な性格だったという。
【高校卒業後、地元の信用金庫に勤務し、結婚……次のページに続きます】