原罪のようなものを抱えて生きる

芳子さんは納戸の秘密を母から聞いたこともあり、大学には進学せず、地元の信用金庫に就職する。

「一生働くという時代ではないので、明らかに男性行員のお嫁さん要員でした。昭和40年代当時、女性が仕事始めに出社する時は、大振り袖を着て行くんですよ。私の着物や帯は納戸のものでした。私は腕が長いので、襦袢と着物の袖丈が合わず、父は“みっともないから直せ”と母に命令しました。でも私は、そのままでいいと着て行ったのです。“元の持ち主は、父が渡したお米が少なくて、恨んでいるかもしれない”と痛み分けのような気持ちだったんですよ」

芳子さんは、人の好意を受け取らず、わざと苦しい道を選ぶ性格だという。

「銀行にいると、父が行ってきた悪事が耳に入ってくる。特に女性が好きで、買い出しに来た女性に暴力を振るったこともあったそうなのです。父に経済力があったから、私は高校を卒業し、信金で働けている。若かったし原罪みたいなものを意識していたのかもしれません」

結婚もできればしたくなかったが、独身を貫くほど意志は強くない。25歳で見合い結婚し、27歳の時に長女を、翌年に長男を産む。

「主人は地元の公立小学校の先生で、優しくて楽しい人でした。結婚すると生活のことで手一杯。お給料でやりくりして、近所のお付き合いや行事もしているうちに、妊娠してまもなく、父が亡くなりました」

父は40代のときに、糖尿病を発症し、かなり苦しんでいたという。

「当時、徹底的な食事療法が強制され、父は大好きな果物、甘いものが食べられず、人工透析が始まってからは、野菜類は一度茹でてから食卓に出されました。父が“食べたいなあ”と言うと、母は“絶対にダメ。死んじゃうんだから”と食べさせなかったのです」

父が病院で亡くなる時、医師が「最後に好きなものを食べさせてあげたらどうですか?」と聞いたが、母は「死んじゃうんだからあげられない」と言った。

「今思えば、あれは母の復讐だったんだと思います。父は終戦後、都会から食べ物を求めて来た人に、十分に分け与えなかった。その後、頂き物をしても、祖母と父で食べてしまい、母の口には入らなかった。母はそういう“食べ物の恨み”を病床の父に全てぶつけたんだと思うんです」

母は幼い頃から芳子さんと弟たちに「人に嫌なことをすると、絶対に返ってくるよ」と繰り返した。

「母のことが怖くて、ろくに親孝行もしないまま、送ってしまいました。母は弟夫婦に囲まれて幸せな最期でした。前日まで、みかんの世話をして、朝、起こしに行ったら冷たくなっていたと言いますから、理想的な人生ですよ」

【娘が「こっちで暮らそう」と言ってくれた……その2に続きます】

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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