文/坂口鈴香

(C)EIGA no MURA

村上浩康監督によるドキュメンタリー映画『あなたのおみとり』が9月14日から公開される。

映画は、末期がんで入退院を繰り返していた父の「うちに帰りたい」という言葉を受け、在宅での看取りを決めたという母の淡々とした電話からはじまる。連絡を受けた長男、この映画の監督でもある村上浩康氏はこのときから、両親の姿をカメラで追いはじめた。

「うちに帰りたい」と言われたら

多くの鑑賞者は自問するのではないだろうか。高齢の親や配偶者に「うちに帰りたい」と言われたらどうする? と。

「住み慣れた自宅で最期まで」というのは、国や自治体、在宅医療・介護事業者が合言葉のように唱えている。末期がんなどでも退院を迫られる状況があるなか、家族から「うちに帰りたい」と言われたら、連れて帰る決断ができるだろうか?

訪問医や訪問看護、訪問介護などのサービスはもちろんある。しかし、それらのケアサービスは“点”、せいぜい1時間程度だ。切れ目ない“線”や“面”のケアは望めない。だから家族に迷惑をかけたくないと、「うちに帰りたい」と言うのを遠慮する患者も少なくないはずだ。

老老介護の厳しい現実

『あなたのおみとり』の父は91歳。9年前に胆管がんと診断された。父を介護するのは86歳の母だ。訪問医、訪問看護、訪問介護、訪問入浴のサービスを受けてはいるし、これらのプロの仕事は十分頼もしいのではあるが、母なしでは父の生活は成り立たない。食事の支度に食事介助はもちろんのこと、映画ではそのシーンは出てこないがおむつ交換などの下の世話もある。母は、父に呼ばれたらすぐに介助できるよう夜も父のベッド脇で休んでいる。深夜に2時間も父の足をマッサージする姿には、ただ頭が下がる。お疲れだろうに、家の中がいつもきれいなことにも感心させられた。

献身的に介護する母も高齢で、心臓の持病もある。母の具合が悪くなり、救急車を呼ぶか迷う緊迫したシーンもあり、老老介護の厳しい現実が垣間見える。「お父さんを残して死なないから」という言葉は、自分を鼓舞するようにも聞こえて切ない。また母は「自分が在宅で看ることで(忙しくて人手が足りない)病院の助けになれば」とも言っている。社会的使命感も強い女性なのだ。

母がもらした本音とは

意外だったのは、二人は昔からずっと仲がよかったわけではないという母の告白だ。小学校教師だった父と、福祉施設職員だった母。共働きで忙しかったこともあり、ケンカが絶えなかったという。「1年も口をきかなかったこともある」というのは、息子の村上監督も初めて知る驚きの事実だったようだ。ここにも「母の衝撃のひとこと」があった(「『お母さん、それ本気で言ってる?』母が発した衝撃のひとこと」(https://serai.jp/living/1185334)参照)。

定年を迎えてからは、二人でよくドライブに出かけていたというが、それも「出かけるとケンカしないですむ」というのがその理由だったというのには苦笑した。これも今だから言える母の本音だろう。

それでも、父が修学旅行の引率で何度も行った会津土産の赤べこを見せながら「また元気になったら行こうね」と母が父にかける言葉は胸に沁みる。これもまた母の心からの願いなのだと思う。最晩年に行きついた夫婦の姿。夫婦にしかわからない歴史がそこにある。

亡くなる数日前には、父が「授業をはじめた」という。互いに職場の話をしたことがなかったという母だが、「今咲いている花は何ですか」と問う父に、母は生徒になって答えた。「久しぶりにまともな話をした」と喜ぶ母。せん妄だったのだろうが、父の生きた証を確認するようで心が温まるエピソードだ。

そして、撮影をはじめて42日目。父の呼吸が変化する。「下顎呼吸」と言われる、最期の呼吸だ。「今日か明日」と医師に告げられた母が父にしたことが、この母らしくて最高だ。教師だった父に贈ったその行為とは――。ぜひ映画で見てほしい。

自分なら、大切な家族との最後の1日、何をするだろう。

42日間。完走した母の表情は晴れやかだった

カメラは、父の死後、父の遺言どおり海に散骨する場面までを追う。母の表情は晴れやかで、その日の海のように穏やかだった。悔いのない看取りができたことに満足しているのが伝わる。

父を自宅に連れて帰って42日。とてもそんなに看護できないと思うのか、それくらいならがんばれると思うのか。長いと感じるか短いと感じるかは、人それぞれだろう。会社勤めをしている人なら、93日取得できる介護休業制度を使うこともできる。あとは覚悟だけだ。

そして、少しだけ意地悪な見方をするならば、看取る立場が父と母、逆だったらここまでできただろうかとも思う。最期に母のいる「うちに帰れた」父は幸せだったが、一人になった母は自宅で最期まで過ごせるのか。

それから、この映画にはもう一つの意義がある。多くの人が病院や施設で死を迎え、家族を看取る経験をすることのない今、人はこうして死んでいくというのを画面越しとはいえ見ることができる。在宅医療や看護についても学べる、ということだ。

だが、別に何も学ばなくてもいい。ある夫婦の物語をただ見つめる、それだけで十分だ。お父さまもお母さまも、お疲れさまでした。

あなたのおみとり
2024年9月14日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
製作・監督・撮影・編集:村上浩康
ドキュメンタリー/2024年/日本/95分/DCP
配給・宣伝:リガード
(C)EIGA no MURA

文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

 

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