取材・文/坂口鈴香

中道美佳子さん(仮名・52)の夫・伸一さん(仮名・55)は、多発性硬化症から高次脳機能障害を起こし、認知症も発症した。会社の温情で仕事は続けられていたが、今年限りで退職することが決まっている。家のローンも残っていて、今後の生活への不安は大きいし、何より家族に限界が来ているのを感じている。
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夫を実家で預かってもらう
「今後の不安や暴言への恐怖が大きくて、役所などあちこち回って相談もしましたが、夫は仕事ができていて今困窮しているわけではないからと、どこも動いてはくれません。行き詰まる前に行動をしなさい、とよく言われますが、助けを求めても結局何も変わらないんです。目の前の問題を一つひとつ片づけるしかない、というのが今の結論です」
目前に迫っているのが、伸一さんの退職だ。今後の家族の生活をどうするか、中道さんは悩んだ。
「離婚はしません。『私が養うから、離婚していいよ』という娘の言葉はありがたいですが、娘に背負わせるわけにはいかないし、夫が病気になったから見捨てたとも思われたくありません」
一方で、夫が暴言だけでなく、暴力も振るっていれば堂々と離婚できるのに、というのもまた正直な気持ちなのだ。
悩みぬいて出した結論は、「伸一さんの実家で面倒を見てもらう」というものだった。
実家には義父母が健在だ。義母は「私が伸一を産んだんだから、面倒を見る」と言ってくれているものの、義母にも認知症の兆候が見られるのだという。気分によって「面倒は見ない」と言う日もあるので、義父と話を詰める必要がある。
「夫はキレると『実家に帰る!』『帰りゃいいんだろう!』と口癖のように言うんです。『そうして』とは怖くて言えないんですが、今はそれが最善の方法だと思っています。義父も高齢なので、認知症の義母と夫の世話をするのは大変だろうとは思うのですが、ダメと言われても困るし……」
親を攻撃されて、今も恨みは消えない
皮肉なことだが、義母のことを伸一さんはずっと嫌っていたのだという。長男を溺愛していた義母は、幼いころから次男である伸一さんにつらく当たっていたのだ。
「長男と比較しては、『あんたはうちの子じゃない』などと言われていたらしく、夫は義母のことを憎んでいました。私から見ても、都合の悪いことは人のせいにするような義母だったのですが、そんな義母に夫がだんだん似てきた気がします」
その上、伸一さんの怒りの矛先が中道さんの両親に向かうようになってきたのだという。
先ごろ、中道さんは父親を亡くした。危篤の報を受けた中道さんが急いで支度をしていると、伸一さんは「そんなにすぐに死なない」と言い放ったという。病院で待機していると「何時間待たせるんだ」「何で帰れないんだ」と文句を言われたのも忘れられない。結局、暴れ出しそうな夫が怖くて、途中で帰るしかなかった。病気のせいだとわかってはいても、伸一さんへの怒りが消えることはない。
「一人になった母には、『伸一さんより長生きしてね』とお願いしています。父がいなくなって、認知症が進んでいるようなのが気になっているのですが、私もなかなか母のところに行けないのがもどかしい。姉が介護してくれているので、せめて姉が出かけるときは私が実家に行くようにしています」
父親の闘病中、中道さんは「お父さんがあの世に行ったら、伸一さんを迎えに来て連れていって」と父親と約束していたのだと打ち明けた。
「そんなことを願う私は、ひどい人間なんでしょうね。家族会の人たちは皆さん立派だから、こんな本音はとても言えません」
いざ、本当に伸一さんがいなくなれば、「なぜあのとき優しくできなかったんだろう」と後悔するだろうとは思う。それでも今は、「早くいなくなってほしい」としか思えない。それだけ追い詰められているのだろう。
いつまで中道さんの苦悩は続くのだろうか。トンネルの出口はまだ見えてこない。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。
