取材・文/坂口鈴香
ホームの資金があと2年で尽きる
今野文子さん(仮名・60)は、今年母を亡くした。母が有料老人ホームに入って8年。コロナ禍で、面会が制限されたことも一因だったのだろう。認知症が進行し、ここ数年は家族の顔もほとんどわからなくなっていた。それでも、今年に入るとコロナ前と変わらないくらい面会ができるようになっていたし、時には母の頭のスイッチが入ることもあった。
「回線がつながって、昔のような母に戻るんです。文ちゃん、来てくれてありがとう。お父さんはどうしている? などと聞いてきて。また次会うとスイッチは切れているのですが」
田舎だったので、母のホームは月20万円ほどで済んだ。もちろん、決して安くはない。今野さんの実家も余裕があるわけではないが、農家だったので農地の一部を売った資金をホーム費用にあてていた。それで10年くらいはもつ計算だったが、あと2年分しか残っていない。資金が尽きる前に特養を探そうとしているところだった。だから、資金が残っているうちに母が亡くなったのは幸運――と言うと母に悪いが、やはり幸運だったのだと思う。
亡くなる前に母に面会したときは特に変わりはなかったのだが、急に状態が悪化。「重篤な状態だ」とホームから連絡が来て、父や弟家族、今野さん夫婦、今野さんの息子たちも駆けつけた。
「息子たちは離れて暮らしていて、コロナ以降長く母に会うこともかなわなかったので、最期に母とお別れができてよかったと思います。母はちゃんと家族とお別れする時間をつくってくれた。気持ちの整理がついた気がしました」
母の手はきれいだった
そして、何より今野さんを安心させたのは、母の手を取ったときだった。
「スベスベしていて、それはきれいな手でした。母は生家も嫁いだ先も農家で、ずっと働き詰めでしたから、手は節くれだってゴツゴツしていたし、日に焼けて真っ黒でした。それが8年のホーム暮らしですっかりきれいな手になっていた。そのことに救われる思いがしました。ホームでよくしてもらったんだと。ホームに入れてよかった」
「ホームに入れたのは間違っていなかった」と、今野さんが自分に言い聞かせるように繰り返すのは、少なからず罪悪感があったからだ。
「入ってしばらくは、何度も『家に帰りたい』と言っていました。実家には父と弟家族がいましたが、母の介護はとてもできない状況でした。何度もトイレの失敗をして、その後始末が大変だったようです。リハパン(リハビリパンツ)を履かせても気持ち悪くて脱いでしまう。そして、そのまままたおもらしをする。家中が臭くなって、父も弟もイライラして母を怒鳴りつけるんです。叱られて母はしょんぼりするし、かわいそうでした。皆が限界でした」
ホームなら誰からも叱られることなく、穏やかに過ごせただろう。その象徴が、「きれいな母の手」だったのだ。
87歳の父は、一人で農業を続けている。母の介護が必要だったころは、なかなか田畑にも行けず、そのことでさらにイライラしていたという。母がホームに入ってまた好きな農作業ができるようになった喜びは大きく、母の不在を補って余りあるようだった。
そういえば、母も朝から晩まで田んぼに出ていたので、デイサービスを利用し始めたころはどうしても罪の意識がぬぐえなかった様子だったのを思い出す。
「デイサービスに“遊びに行く”自分が許せないようでした。何もしないことが申し訳なくて、デイサービスの迎えの車が来ても何度もトイレに行ってなかなか車に乗ろうとしなかったようです。切なくなりますよね。だから、きれいになった母の手は、それだけ母が農業を忘れてしまい、農作業をしないことに罪悪感を持たなくなった、ということ。それはそれで寂しいのですが」
【後編に続きます】
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。