取材・文/坂口鈴香

写真はイメージです。

「『お父さん、ありがとうな』若年性認知症になった妻 その後」(https://serai.jp/living/1175805)で紹介した北村昇さん(仮名・66)は、妻の美佐子さん(仮名・65)が施設に入る前、一瞬元気だった昔に戻ったように、北村さんにかけてくれた感謝の言葉を心の支えに妻のいない日常を過ごしている。

「お父さん、ありがとうな」は、妻の口を借りた神さまからのプレゼントだったのではないか――そんな気もしてくるほど、奇跡の言葉だった。

よみがえった父の言葉

北村さんが妻からもらった「ありがとう」のように、感謝の言葉を親からもらったという子どもは少なくない。北村さんの話を聞いて、「病床にある父からかけられた『ありがとう』を思い出した」というのは、谷田貝真実さん(仮名・57)だ。

谷田貝さんの父は末期の肺がんだった。具合が悪くなり、病院を受診したときにはすでにかなり進行していた。手術をして、患部はある程度取り除くことができたが、その後転移。入退院を繰り返したのちに亡くなった。

谷田貝さん姉妹は父に病名を告げた方がいいのではないかと考えたのだが、担当医にも親戚にも強く反対され、最期まで隠し通すことになった。まだがんという病名を本人に告知しないのが主流だったころのことだ。

とはいえ、谷田貝さん姉妹にとって、病名を隠したまま父に接するのはつらいことだった。自分が不治の病ではないかと疑いながら、弱っていく父の姿を見ると胸が痛んだ。病院に面会に行くのも気が重い。谷田貝さんは地元から遠く離れた地で暮らしていたこともあり、父の顔を見に帰る回数は減っていった。看病をしてくれている姉に申し訳ないと思う一方で、病に苦しむ父の姿を目の当たりにしなくて済むのは、どこかホッとする気持ちがあったのも否定できない。

矛盾する気持ちに葛藤を抱えながら数か月が過ぎ、とうとう姉から「お父さんはもう長くないだろうと担当医に告げられた」と連絡が来た。覚悟を決めて実家に戻った谷田貝さんは、母親や姉と交代で意識が低下している父の病室に泊まり込んだ。

その「ありがとう」は私に言ってる?

谷田貝さんが父の病室に泊まっていたある夜のことだ。

「病室には私一人でした。そのとき、もう意識がほとんどなく、会話もできなかった父が『ありがとうね』と言ったんです」

谷田貝さんは驚くと同時に戸惑った。

長く看病に帰ることもできず、父には申し訳ない気持ちがあったのに、私に「ありがとう」と言ってくれているの? そもそも、父は私とわかって言っているの? 誰かと間違えているのではないのだろうか?

その数日後に父は亡くなったが、谷田貝さんはこのときの話を誰にも言わなかった。言えなかった。そしてそのまま思い出すこともなくなっていた。北村さんの話を読んで、思い出したのだという。

そのときの戸惑いは消えたわけではない。けれども父は自分のことをわかって、自分に向けて「ありがとう」と言ってくれたのだと思ってもいいのではないか、と受け入れられるようになった。看病はできなかったけれど、「遠くから来てくれてありがとう」だったかもしれない。

「歳を重ねた今、私も『ありがとう』と言える人になりたいと思いました」

父からの「ありがとう」は、父の死から数十年後、玉手箱のようなプレゼントになった。

後編に続きます】

取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。

 

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