バレンタインに手編みのマフラーが実家に届く
苦痛だった車掌業務の後は、駅員として半年間勤務する。そのとき、周平さんに人生最大のモテ期がやってきたという。
「配属されたのが、女子校が多いエリアの駅だったんですよ。私は上背があって、顔の作りが濃い……昔の“ソース顔”だから、モテたんです。私の名前が書かれたラブレターを女の子から渡されて、ギョッとしたことを思い出します。“なんで知っているんだ?”と思ったら、名札に書いてあるんですね。アメリカのコーヒーチェーンは、名札にニックネームを書く。あれはいいことだと思います」
人から好意を寄せられることは、最初こそ嬉しいが、続くうちに怖くなったという。周平さんが女子高生たちを適度に無視するようになると、行為はエスカレートしていった。寮まで尾行されたり、知らぬまに都心近郊にある実家まで特定されていたという。
「バレンタインデーに手編みのマフラーやミトンが送られてきたんですよ。そのときに、両親や姉の安全について考えてしまいました。有名な大リーガーやタレントが、家族や自宅について撮影した媒体に毅然と対応したり、SNSで意見を発信したことが報道されたけれど、あれは当然のこと。大切な家族が脅かされるのは怖い。人間として愛され、大切にされるのとは異なり、このような好意は、可愛さ余って憎さ100倍になる可能性だってあるんですから」
ファンの語源は「fanatic」(熱狂的な)とされる。
「最初こそ、キャー! と言われていましたが、のちにくすくす笑いされたり、名前も言わずにプレゼントを押し付けられたり。マスコットというか、手近なアイドルのような扱いでした。あのときの不思議な経験を思い出すたびに、不特定多数から騒がれるアイドルを尊敬しています」
そんな周平さんが32歳のときに結婚した相手は、この駅を利用していたかつての女子高生だったという。
「あれは30歳のとき、当時は都市開発の部署に移動になり、意気揚々と仕事をしていた頃です。居酒屋で同僚と飲んでいると、隣のテーブルにきれいなお姉さんが2人おり、同僚が声をかけて4人で飲んだんです。好みのタイプの方の女性が、私の顔をじっと見て、“私はあなたのことをよく知っている。でもあなたは絶対に私のことは知らない”と言う。あれは、人生最高にドキッとした瞬間です」
女性は周平さんの目をグッと覗き込んだという。そのときに「この人に、何もかも見抜いてほしい。見抜かれてしまいたい」と思ったと振り返る。
「恋に落ちた瞬間を自覚したんですよ。それで、“なんで僕のこと知っているの?”と聞いたら、彼女はかつて駅員として勤務していた駅の名前を言った。僕は彼女の高校名を言い、“あたり”と。僕は当時新卒の新米駅員、彼女は高校3年生。よく考えると4歳しか違わない。その日のうちに告白して、交際がスタート。1年後に結婚しました」
【幸せな結婚生活は27年で終わった……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。