一流会社の社員でないから、結婚はできない

幹代さんの血を引いたのか、息子は負けず嫌いだった。元の部署で結果を出そうと懸命に働き、無理を重ねて円形脱毛症ができていたという。

「私が“もう一押し頑張れ”とか、“一度始めたことは、絶対に止めるな”などと育ててしまったから、息子がこんな状態になっているんだと反省しました。髪の毛が抜けるほどのストレスを受けても会社に行く息子に“もう、会社を辞めなさい!”とはどうしても言えなかったんです」

息子にも一流企業に勤務し、社会を動かしているという自覚があった。会社と自分自身が深く繋がっており、辞めるという選択肢は考えられなかったという。

「あるとき、息子が夜中に青ざめた顔で帰ってきたので理由を聞くと、近所の公園の木にベルトをかけ、命を断とうとしてしまったと言うんです。そのときの記憶がほとんどなく、近くを通りかかった人が“何をしているんだ”って怒鳴ってくれなかったら、実行してしまっただろうと話していました」

その告白を聞き、幹代さんは大泣きした。息子に「死なないで」と縋(すが)り付いたという。息子もその時に吹っ切れたのか、翌日、会社に辞表を提出。このとき、幹代さんは「この子は一生独身だ」と思ったという。

「だって、無職の男と結婚する女性なんていないでしょ。一流の会社なら、引く手あまたでしょうけれどね。でもそれも私の傲慢な思い上がりだったんです。どうしても学歴と世間体の呪いが解けない。今でもいい大学を出ていると聞けば、感心してしまいますしね」

会社を辞めた息子は、もともと興味があった農業関係の仕事をするために、地方への移住を決める。息子は「東京にいるからいろんなノイズが入ってくる。同級生とマウントの取り合いみたいなことをしなければならないしね。そこからちょっと離れる」と、移住支援がある北陸地方の小都市に引っ越した。

「20年間、一緒に生活してきた息子がいなくなるから、空の巣症候群のようになりました。でも、私には仕事があったので耐えられました」

それから1年後、息子は移住先で出会った女性と結婚すると言ってきた。相手の女性は同じ歳のシングルマザーで、前夫の間に4歳の息子がいた。

「離婚以前の私なら、激怒して反対していたと思います。でも、息子のどん底時代を伴走し、自分も成長したからこそ、心から“おめでとう”と言えました。息子は反対されると身構えていたそうです。もう、そんなこと私は思わないのにね」

結婚式で息子は「鬼より強い母が僕を育ててくれた。お母さんに謝りたいのは、両親の離婚時に“お父さんと暮らしたい”と言ってしまったこと。僕はあなたが怖かったんです。本当にごめんなさい。そして、そんな僕を励まし、慈しみ育ててくれてありがとうございました。お母さん、本当にありがとう。僕はあなたの息子です。最高に幸せです」とスピーチした。その動画には嗚咽する幹代さんの姿が映っていた。

「泣いちゃうでしょ? 子供って、生きているだけで親孝行なのよ。ウチの息子のもう一つの親孝行は、結婚式に元夫を呼ばなかったこと(笑)。途中から養育費を払わなかったから、当然の報いですよ」

それから10年、今、息子は妻の連れ子と2人の実子を育てつつ、元気に働いているという。農業だけでは生活が難しく、地元企業のコンサルティングなども行っているそうだ。

「この前、お嫁さんから電話があり、“実家にそれなりの資産があるので、子供達を大学に進学させたいんですよ”と言ってきたんです。お嫁さんは高卒なので、大学に進学するという選択肢はそう出てこない。きっと息子の姿を見て、触発されたんでしょう」

そうと聞けば、幹代さんは色めき立つ。

「息子も私も高学歴の恩恵を受けている。息子もコンサルで副収入を得ていますし、私も知人の会社の役員になり、経営のアドバイスをして生活ができています。知識の使い方を知ることは、可能性を広げる。その入り口に立つ学校の先生に、かつてモンスターペアレンツ化した私は、酷いことをした。その償いとして、教育関係の寄付は、惜しみなくしています」

社会は未熟な人間同士がぶつかり合う場所でもある。一方的な物の見方で、善悪を判断することはできず、またその善悪の基準も曖昧だ。幹代さんは「ランクづけ」で人を見ていた自分を恥じるが、ランクがあるからこそ、社会が円滑に回る側面もある。ただ、それを相手のことを支配する武器として使うと互いの不幸を生む。それを知っていると、今よりも少し生きやすくなるのかもしれない。

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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