人の生き方とは様々です。何となく観ていたテレビ番組や新聞の記事などで、とある人物の人生を知り、心打たれることがあります。人様の生き方から学ぶことも多いもの。また、己の生き方と比べ、恥いることもしばしばです。
どこで、人生の違いが生じたのか? 運なのか、チャンスだったのか……おそらくは、志と運を呼び寄せる努力、そしてチャンスを物にする能力の違いではないでしょうか?
先人たちが残した名言や金言の中に、その答えを見つけることができるかもしれません。第20回の座右の銘にしたい言葉は「李下(りか)に冠(かんむり)を正(ただ)さず」 です。
目次
「李下に冠を正さず」の意味
「李下に冠を正さず」の由来
「李下に冠を正さず」を座右の銘としてスピーチするなら
最後に
「李下に冠を正さず」の意味
「李下に冠を正さず」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、「(スモモの木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという意の、古楽府「君子行」から)人から疑いをかけられるような行いは避けるべきであるということのたとえ」とあります。
読んで字のごとく「李(すもも)の木の下で冠を直さない」ということです。李の木の下で冠を直すと、まるで李の実を盗もうとしているかのように見えるため、そのような行動を避けるべきだという教訓です。
「李下に冠を正さず」の由来
先述の「文選(もんぜん)・古楽府(こがふ)・君子行(くんしこう)」の中に以下のような一節があります。
君子防未然 君子は未然に防ぎ
不處嫌疑閒 嫌疑の間に処らず
瓜田不納履 瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず
李下不正冠 李下に冠を正さず
【現代語訳】
君子というものは疑われるような行動は未然に防ぎ、
嫌疑をかけられるようなところにはいないことだ。
瓜の畑ではかがんで靴を履くようなことはせず、
李の木の下では冠を直すことはしないことだ。
「李下に冠を正さず」は、「瓜田に履を納れず」とペアで使われることもあります。瓜の畑でかがんで靴を履こうとすると、まるで瓜を盗もうとしているかのように見えるため、疑わしい行動を避けるべきだという同様の教訓を述べています。これらの言葉は、誤解を招かないように常に慎重な行動を心がけることの重要性を強調しています。
この言葉は、現代社会においても多くの場面で応用されます。特に、SNSやインターネット上での発言や行動が瞬時に広まる現代では、誤解を避けるために細心の注意を払う必要があります。
例えば、公の場での発言や行動が誤解を招くと、一瞬で信頼を損ねる可能性があります。また、職場や学校などのコミュニティにおいても、信頼関係を築くためには、日々の行動において疑わしい振る舞いを避けることが大切です。
さらに、自己管理や自己啓発の一環としても重要です。自己管理の観点からは、自分の行動が他人にどう映るかを常に意識することで、より良い人間関係を築くことができます。また、自己啓発の観点からは、常に自分の行動を客観的に見つめ直し、改善する姿勢を持つことで、信頼される人間へと成長することができるのです。
「李下に冠を正さず」を座右の銘としてスピーチするなら
スピーチの冒頭では、この言葉の意味と由来を簡潔に紹介します。その後、具体的なエピソードや実例を交えながら、言葉の重要性を強調します。以下に「李下に冠を正さず」を取り入れたスピーチの例をあげます。
ビジネスの場面で誤解回避をするためのスピーチ例
皆さん、「李下に冠を正さず」という言葉をご存じでしょうか。これは、疑わしい行動を避けるべきだという意味を持つ中国の古典からの教訓です。李の木の下で冠を直すと、果実を盗んでいると誤解されるかもしれないから、そのような行動は避けましょう、というものです。
例えば、取引先との会議中に席を離れた際、競合他社の社員との会話が漏れ聞こえた場合、あたかも情報を漏らしているように見られるかもしれません。まさに、「李下に冠を正さず」で、たとえそれが昔からの友人だったとしても接触を避けることが大切です。透明性を保ち、誤解を避けることで、ビジネスパートナーとの信頼関係を築くことができます。
最後に
「李下に冠を正さず」という言葉は、誤解を避けるための具体的な行動指針を提供してくれます。シニア世代にとっても、この教訓は人間関係や信頼を築く上で非常に有益です。読者の皆さんも、この言葉を座右の銘として、より良い人生を築くための一助としていただければ幸いです。
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com