目標ができると、生活は楽しくなる
息子ほどの年齢のギターの先生に、基礎からマンツーマンで学ぶ生活が始まった。
「1週間に1回、1時間、先生のところに行き、ギターを習う。手を動かし、先生と話していると、目標ができてくるんです。先生はいいところを見つけるのが上手で、“真面目に練習していますね”とか“指の力が入るようになりました”などといいところを指摘してくれる」
それまで、昌典さんは音楽への強い苦手意識があった。小学校の頃、リコーダーが吹けず、歌も歌えず、当時の学校の先生からできないことを叱られ続け、居残りもさせられていたという。
「成績はほぼオール5だったのに、音楽だけはいつも“2”でした。自分には音楽の才能はないと思っていたのですが、そうでもないとわかったことがとても良かった。レッスン通いが1年続いた頃に、先生から“目標曲を決めましょう”と言われ、とっさにエリック・クラプトンの『チェンジ・ザ・ワールド』って答えてしまったんです。妻が好きな曲なんですよ。ギターを始めるまでは、スローテンポで簡単そうに聞こえていましたが、あの曲はとても難しいことがわかっていたのにね」
先生も「学校のギター部の子たちが、毎日練習しても1年以上かかる」と言っていたが、否定はせず「一緒に練習しましょう」と言ってくれたという。
「目標ができたから、地味に練習しています。ギターを始めて3年、先生を通じていろんなミュージシャンを知ることができました。コンサートも行ったんですよ。あとは、友達ができたことも大きいです。ある程度、ギターと音楽の知識ができると、話し相手が欲しくなり、思い切って地元の音楽バーの扉を開いたんです」
50代の男性が経営しているバーには、シニア世代の男性客も多かった。昌典さんはその仲間と打ち解けることができた。
「地元のイベントの手伝いなども頼まれるようになって、こんなふうに地元は回っているんだと思いました。それにつけても、飲み屋さんって大切。全く見知らぬ他人が同じ空間でお酒を飲んでいるだけで、親密になれるんですから」
でも、ギターは道楽であり、仕事ではない。どれだけ頑張っても、収入にはつながらない。
「今まで、十分に働き、お金には困っていない。娘たちも独立して、独身のまま好きに生きています。無理しない程度にギターを続けたい。今の年齢になって思うのは、もう少し早くに定年後の人生を考えておけばよかったということ。あとは、妻のありがたさ。人間は支え合って生きるんだと」
老後不安が報道されているが、内閣府の『高齢社会白書』(2023年版)を見ると、「経済的な暮らし向きについて心配がない65歳以上の者は68.5%」とある。これまでに多くのシニア層の人の話を聞いたが、実際に経済的に困っている人は少ない。それよりも孤独が心身に応えているという人が多いと感じる。定年後に備え、伴侶や家族、友人、地域の繋がりも育てなければならないと改めて感じた。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。