元気なうちに好きなことをしたいのに、それがわからない
昌典さんは定年退職後のプランを何も考えていなかったので、「ある日突然、仕事がなくなってしまった」という状態だった。
「本格的にすることがないと、こんなに辛いのかと。自分は仕事ができると思っていましたし、なんだかんだ言って、会社から必要とされていることはわかっていました。それがある日なくなるのが、定年なんだと」
心のよりどころが仕事だという人は多い。会社の看板と組織ありきの仕事に全てを集中してしまうと、そこから外れたとき、強烈な孤独を感じてしまう。
「社会から切り離されて、宇宙を漂流しているような気持ちになるんです。一人でいるのが怖くて、いつも妻にくっついていました。よく、定年退職後の亭主を“濡れ落ち葉”というじゃないですか。ああなる人の気持ちがわかる」
濡れ落ち葉とは、定年退職後の男性が、趣味も友人もなく時間を持て余し、払っても払ってもなかなか離れない濡れ落ち葉のように、妻についてくる様子を表現した言葉だ。
「実際は、妻を通じてしか社会と繋がれないから、不安が高じてついていくんです。幼児みたいなものですよね。妻がパートに行くと不安になり、帰ってくるとホッとしました。そういう自分も嫌で、1か月ほど部屋に引きこもって寝てばかりいました。こんなことは大学受験で第一志望の国立に落ちたとき以来です」
2歳下の妻は、そんな昌典さんを見守っていた。定年後の夫をケアするための勉強会に行ったり、識者の講演会に足を運んでいたという。
「妻から聞いたのか、2人の娘たちも心配して実家に顔を出してくれました。家族のお荷物になるのは嫌だと思っても力が入らない。そこで後悔したのは、50代前半から10年かけて定年後の人生プランを立てておけばよかったということ。人生は仕事だけではない。元気なうちに好きなことをすべきだと頭ではわかっていても、“好きなこと”がわからないんです」
昌典さんは旅、ゴルフ、映画が好きだと思っていた。しかし、それは多忙な仕事の合間を縫っていくから楽しかったのだ。
「そこで得た経験を、仕事に活かすことができるから楽しかったんです。営業トークや同僚との会話で使えるから“投資”する意味があった。単なる娯楽じゃやる意味がない。自分は一体何が好きで、どう生きてきたのか、わからなくなってしまったんです」
定年後、身だしなみなどのケアをしなくなる人は多い。しかし、昌典さんは風呂には毎日入り、髭も剃っていた。
「妻はきれい好きで、おしゃれな人。“お風呂入って”“床屋さんに行って”などと指摘してくれるから、人としての体裁を保てました。妻がいなかったら孤独死していたんじゃないかと思います。身だしなみも仕事の一環であり、仕事から外れたらやる意味が見つからなくなりますからね」
生きることの全てを仕事に全振りしていると、定年後、人生に遭難する。そこを助けてくれるのは妻だったという。
【良好な夫婦関係が、人生を幸福で豊かにした……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。