資金1000万円は父の遺産から支払った

バーの開業のために、物件の選定、内装イメージ、テーマなど、考えることは多々ある。

「とにかく失敗はできない。そのために、役職定年後の5年間は、会社の仕事はほどほどに店の準備を進めました。自分の好きなゴルフとバーを組み合わせるというアイディアを決めた。次に、街と人通りを見て、1階の物件にこだわって探すと、これがない。営業時代に1階の店とそれよりも上の店の酒の発注量は全く違うことを知っていた。飲食は1階が圧倒的に有利なんです」

数字を組み立てて、経営プランを立て、強いコンセプトも作った。

「サボらずに街を見続けていると、いい物件は向こうからやってくる。ゴルフのシミュレーション練習システムを置けて、お酒を提供できる店が見つかり、無事に契約できました。知り合いの内装デザイナーと内装業者にお願いして、イメージ通りの店もできた。公認会計士をしている息子が、私のゴルフバーの開業を聞きつけて“正気なの?”と様子を見にきたんですけれど、経営計画書を見せたら“これは完璧だね”と言ってくれた」

開業資金の1000万円は父の遺産で賄った。そして、定年前に店は開業する。会社を去る悲しみ、寂しさはなかったという。

「店がなかったら、どんな気持ちになっていたんでしょうね。店という生きがいがあって、”俺は他人と違うんだ”という気持ちがあって、あのときは自信にあふれていた。店はゴルフをやらない人も来られるようにしてあるから、スナックみたいに使ってくれるお客さんもいました。ママとしてうってつけの人も見つけて、順調な滑り出しをしたのです。コロナ禍のときはどうなるかと思いましたが、なんとか回しました」

コロナも終息し、これからだというときに、客足がぱったり落ちてしまったという。

「かつては石川遼選手というスターもおり、若い女性も巻き込んだゴルフブームのようなものが起こっていました。コロナ中も“三密”を避けるスポーツとして注目を集めましたが、そのブームもすぐに去った。店に人が来なくなったのは、多くの人に使えるお金がなくなったからです。激しい円安と物価高で、バーで過ごす時間とゴルフにお金を使う人が減ったのです」

ゴルフに限らず、スポーツは体に負荷をかける。上達が遅いのにも関わらず、練習は続けなくてはならない。

「強制力もないので、営業成績を出すよりも難しい。そんな悠長なものにお金を払うなら、NISAをやるって話ですよ。ずっと黒字を続けていましたが、半年間赤字が続き、これは引き際だと」

すでに投資分の1000万円は回収しており、手元にお金は残っていた。公認会計士をしている次男も「年齢もあるし、引いた方がいいのでは」とアドバイスしてくれた。

「それで、店を閉めました。壮大な暇つぶしのような感じでしたけれど、それは楽しかった。ママをずっとやってくれた女性には、退職金の50万円を渡しました。店を経営して良かったのは、人との繋がりができること。自分でリスクを取って、自分が主体として小さいながらも事業を行うと、人間関係の繋がりが密接になる。“会社”という看板がない状態で、仕事ができたのはとても良かった。定年延長していたら、店はできなかったと思う」

店を辞めたと聞きつけて、「うちで働かない?」「うちの店の帳簿を見てくれない?」などと雑用のような仕事も持ち込まれているという。

「結局、大切なのは人との繋がり。サボらず仕事をして、やり続ける。こういう姿を人は見ている。その積み重ねが全てなんだと思います」

勤勉であること、手を抜かないこと、正直でいることは、新卒時代に雅彦さんが上司から学んだことだ。これが結局、一生を通じた財産になると悟ったという。

また、これほど入念に計画を立てていても、飲食店の経営は難しいことにも注目したい。「定年後に自分の店をやりたい」と思う人は多いが、そのときは入念に準備し、店を育てるような気持ちで挑むといいという。

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。

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