母親の手術に8歳の子供が付き添う
「妻が倒れたとき、私は単身赴任をしていたんです。当時、携帯電話はないですから、会社に電話がかかってきて、救急車を手配したことを覚えています。娘に付き添わせて、病院に行ってもらい、緊急手術になったのです。私が病院に到着するまでの3時間、娘は一人で待っていました」
8歳の子供が、たった一人で母親の手術を待っているというのは、今の常識で考えれば異常な事態だ。どれだけ心細かったか、想像すると胸が痛くなる。
「妻も私も実家との縁が薄く、遠い。お互い、兄弟の仲が悪く頼れる大人がいなかったんです。都会は隣近所の助け合いもないですし、私はそういう人間関係が苦手で。妻もママ友と交際するタイプでもないですし、妻の友人関係は把握していない。娘しかいなかったんです」
その日、娘は学校から帰ったら友達の誕生日会に招待されており、楽しみにしていたという。しかし、母親が倒れてしまえば出席はかなわない。
「私にしてみれば、それどころじゃない。幸い、妻の手術は成功し、命は助かりましたが、半身に麻痺が残ってしまった。リハビリを経て、寝たきりは免れたものの、杖と車椅子が手放せなくなってしまった。今のように社会システムが整っておらず、介護は家族の負担が大きかった。私は仕事をして生活費を稼ぐことに専念し、介護は娘が主に担当することになったのです」
学校が終わったら、家に帰ってすぐに家事や母親の世話をしなければならない。当然、ヘルパーさんは来るが、それにはお金もかかる。
賢治さんに当時の娘の生活の様子を聞くと、全く覚えていないという。家のリフォームや介護費用のために、とにかく必死で働いていたそうだ。
「ずっと機械系の専門商社に勤務していたんですが、すぐに単身赴任から本社勤務に戻してもらいました。当時、残業代が出ていたので、率先して引き受け、22時に会社を出るのが日常だった。家族のためにお金を稼ぐことに必死だったんです」
妻の母も時々来てくれていたが、遠方に住んでいて、元々疎遠なために、月に1回がせいぜいだ。
「義母も心臓が悪いから、娘が中学生のときに亡くなってしまった。まあ、とにかく娘に負担をかけていたんですよ。だから、今、私がお金を払うのは当たり前だと言われれば、そうなのかもしれません」
半身に麻痺が残る母と娘の関係は良好だったという。妻の状態を聞くと、トイレは自分で行けて、通常のコミュニケーションはできるが、首から下の左半身がいうことをきかなかった。家の中の移動は時間がかかるが問題はない。車椅子で外出はできるが、人の手が必要だった。
「以前は物静かな人だったのですが、怒りっぽくなったり、優しいかと思えば、時々大きな声を出したりしていました。娘のことは、とにかく愛していたと思います。娘もよく妻に甘えていた」
【娘に知人の会社を紹介するも「どうせ無理だ」というあきらめ癖で仕事を放棄するように……後編に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などに寄稿している。