ご主人がリストラされたから、喫茶店をやっている
洋子さんが喫茶店経営に力を入れなかったのは、父に頼まれて仕方なしに始めたということもある。加えて、当時は「生活に困っているから、店を出した」という社会の目があったから。
「今では考えられませんが、当時はそうだったんです。主人からも“俺の稼ぎが悪いから、お前が働くことになったって思われたくない”と言われました。ママ友の間で、“ご主人がリストラされたから、喫茶店を始めた”とか、“離婚した”とかの噂が立ち、苦笑いしたことを覚えています。一時期、通い詰めてくれたお客さんが、私の主人が相変わらず会社におり、離婚をしていないとわかると、ぱったり来なくなったこともありました。きっと可哀そうだと思って来てくれていたんでしょうね」
だから、洋子さんは「子育ての片手間にやっている」という姿勢を崩さなかった。結果的に、これが店を続ける秘訣になったのだという。
「朝は近くの大学の教授や助教授が一息つきに来てくれて、昼は近くの会社の人が、タバコを吸いにくる。昼過ぎはママさんや地元の知り合いが来て、夕方店を閉める。でも、毎日、これをやり続けるのは大変でした。風邪を引こうが、雪が降ろうがお客さんは待っている。必死こいてお店に行っても、お茶っ挽き(客がいない)のこともありましたしね」
洋子さんの喫茶店は、わざわざ来る店でもなく、ただそこにある店だった。映える要素が何一つないので、グルメサイトにも出なかったという。
「ありふれたコーヒーを白いカップに入れて出し、ケーキはすべて冷凍を解凍したもの。誰もアップしませんよ。客はほぼ常連で、みんな私と一緒に年を取っている。そういう店が変わったのは、2年前に主人が定年になり、店に口出すようになったころから」
当時、夫は定年を延長して働き続けたが、それまで部長どまりだった夫は、定年延長後は権限も責任も奪われて、不本意な仕事をしていた。
「前から、店についてアドバイスをくれてはいたんです。高いカップを入れて付加価値を取れとか、通もうなるコーヒーを出せとかね。でもコーヒーや紅茶などの嗜好品は、今の時代はお客様の方が詳しい。変にこだわるよりも、特別おいしくもなく、まずくもないという現状維持でいいと言ったのです。夫は不満そうでした」
夫は思いついたかのように店に干渉するようになった。萩焼のマグカップを買ってきたり、店の名前を入れたカップのデザインを作ったりしていた。
喫茶店の経営者は洋子さんだ。浮き沈みが激しい飲食店で、店を続けてきた。両親は「家賃は要らない」と言ったが、そういうわけにはいかないと、相場に見合うお金を貯めてきた。そのお金は、80歳で認知症を発症した母親の介護費用に消えた。
「私は祖父にかわいがられており、“この世はプラスマイナスゼロだ”という思想を骨の髄まで叩き込まれていた。家賃を払わずに楽をしたら、あとでしっぺ返しが来る。だから貯めていたんです。3年前に母が亡くなり、気落ちした父はそのまま亡くなってしまったんです」
【両親が亡くなり、仕事がヒマになった定年夫は店に過干渉を繰り返す……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。