取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
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今年は関東大震災100年目、さらに9月1日は「防災の日」であったことから防災意識への調査がさまざまなメディアや企業で行われている。株式会社カシワバラ・コーポレーションでは、関東大震災100年の節目に住まいの防災を考えるきっかけづくりを目的に「住まいと防災意識に関する実態調査」を実施(実施日2023年7月28日~7月31日、有効回答数:20歳~69歳までの男女600名、インターネット調査)。調査では、7割以上が防災意識が高まっていると回答するも、6割の人は防災対策を行っていないことが判明した。
防災意識は実際に震災の被災経験がある人とない人に違いはあるのだろうか。今回お話を伺った恭子さん(仮名・42歳)は中学生の頃に被災経験があり、「被災したことで自分の性をリアルに感じさせられました。それまでは自分の性についてそこまで意識していなかったのに」と語る。
1月17日の阪神・淡路大震災の朝
恭子さんは兵庫県出身で、両親と2歳上に兄のいる4人家族。住まいは8階建ての分譲マンション。共働きの両親や兄との関係も良好だった。地震が起こった日は朝まで起きていたという。
「夕方ぐらいから一度寝てしまって、深夜に目が覚めていたんです。そこからお風呂に入るともう明け方の4時近くでした。もういまさら寝ても仕方ないからと、ずっと起きていたんです。
他の家族は全員寝ていて、ぼんやりと覚えているのは、いつの間にか砂嵐になっていたテレビ。当時は幽霊とかに敏感な時期で、ちょっと怖かった記憶が残っています」
明け方の5時46分。ドーンと大きな地響きが数秒続き、体が浮いていると思ったほどの揺れがあったという。しかし、「それが地震だとすぐに認識することはできなかった」と語る。
「そんな大きな地震なんて一度も体験したことがなかったし、地震が怖いものなんていう認識もありませんでした。何が起こっているのか認識できずに、ただ立ち上がれないほどの揺れに耐えているだけでした。
地震と認識できたのは、電気が消えたから。真っ暗な中での揺れに強い恐怖感を覚えたんです。そのときにガシャンと食器などが割れる音がしてきました。“逃げないといけない”と咄嗟に思い、ベッドの下に隠れました」
【避難所でのトイレが嫌で、生理が止まった。次ページに続きます】