取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。
*
ベビカム株式会社は「親の介護に関する意識調査」を実施(実施日:2023年1月26日~2月18日、有効サンプル数:137)。子どもを持つ主婦の6割近くが、親の介護に対して不安を持ちつつも、介護について親と話をしたことがないという結果になった。
今回お話を伺った、奈々さん(仮名・44歳)も親の介護に不安を感じている1人。今はまだ元気に一人暮らしをしている母親だが、年々母親にとられる時間が増えており、「母親は自分のルールだけに従って生きてきた人。周囲に誰もいなくなって、私しか頼れる人がいないんです」と語る。
母親に従うことが、我が家のルールだった
奈々さんは大阪府出身で、両親と4歳上に兄のいる4人家族。専業主婦の母親は家事を完璧にこなし、家には“母親に反発してはいけない”という暗黙のルールがあったという。
「母親は自分の中に絶対的なルールがありました。例えば、キッチンは自分のテリトリーだから他の人に荒らされるのが嫌いで、私は小さい頃から実家のキッチンは一度しか使ったことがありません。その一度ですごく怒られて、そこから禁止されてしまい、その時から今も実家のキッチンを使ったことはありません。
他にも、調味料の並び順とか、食器棚のお皿の並び順、掃除の頻度、かける順番なども完璧にルール化されていました。掃除したい場所に他の家族がいるとそこから追い出されます。私たち兄妹だけでなく、父親もそれに従っていました。母親を怒らすとその後の不機嫌になる時間が長いから、従ったほうが楽だったんです」
家族旅行のスケジュールなども母親が管理。家のことだけでなく、兄や奈々さんの進学についても当たり前のように口出しされていた。その不満をため続けた兄は、大学を中退して母親と絶縁。家に寄りつかなくなっていた。
「母親が重いものを買い物するときには兄が付き添うというルールもありました。たとえ友達と遊ぶ約束をしていても母親の言うことは絶対だったのですが、高校生からしたら苦痛でしかなかったと思います。私から見たら、兄は無表情で従っているようでした。
でも、兄は実家から通える大学に進学して、しばらくしたら友人の家に入り浸るようになり、帰って来なくなりました。そのまま大学も中退して、今は北海道で暮らしています。家を出てからは父親や私とは連絡を取り合っていましたが、母親とはそれっきり。母親から兄についての発言は一切なくなりました」
【母親のマイルール“太っている人は自己管理できない”。次ページに続きます】