取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきている。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫る。

文部科学省が令和2年に実施した「家庭教育の総合的推進に関する調査研究 ~家庭教育支援の充実に向けた保護者の意識に関する実態把握調査~」報告書(令和3年2月)によると、子どもとふれ合う時間は、平日で「1~2時間未満」が27.8%と最も高く、次いで「1時間未満」が21.7%、「2~3時間未満」が 21.2%となっている。また、親の労働時間が長くなるにつれ、平日の子どもと触れ合う時間が短くなる傾向にあるとの結果になっている。

今回お話を伺った、亜紀子さん(仮名・44歳)も小さい頃から両親はずっと共働きで触れ合う時間が少なく、「親よりも伯母のほうが私と一緒にいてくれた」と語る。

小さい頃の避難場所は伯母の家だった

亜紀子さんは大阪府出身で、両親と1歳上に姉のいる4人家族。父親は長距離トラックの運転手で家に居るときがあっても子どもと遊んでくれることはなかった。母親も働いており、家族よりも友人との思い出が多いという。

「年子の姉がいるので、いつも家には私の友人か姉の友人が当たり前のようにいて、親がいないことを別に寂しいと思ったことはありませんでした。父親は数日帰って来なくて、帰って来てもずっと寝ているような人で、顔を合せたら話をすることはあっても特に盛り上がらずといった感じでした。

母親とは毎日お風呂を入る前後に学校での出来事や成績とかを報告する時間があったんですけど、親に聞いて欲しいから話しているというより義務のようなもの。姉と私と母親の3人で行なうんですが、その報告でどちらかがテストの結果が悪いとその後の母親はずっとピリピリしていて……。姉と事前に話し合って、成績が悪かったほうが2番目に報告しようと決めていましたね。そのほうが母親がピリピリする時間は少なくて済むから」

学校行事への参加や、亜紀子さんや姉が体調を崩して学校から早退するときの迎え、そして遊びに連れて行ってくれたのは伯母だった。伯母は母親の姉で、近所で一人暮らしをしており、優しい人で、亜紀子さんは特に懐いていたと振り返る。

「伯母は自宅で仕事をしていたこともあって、両親の代わりによく学校行事に参加してくれていました。伯母の家は私たちの家から徒歩圏内にあって、姉とケンカして家に帰りづらいときの避難場所としてよく行っていました。そのときにはまだ携帯なんてないからいつも行くときは突然なのに、伯母はいつでも笑顔で迎えてくれて。伯母の家には猫がいて、その子に会うのも楽しみでしたね」

【仕事人間だった母は、別人のように孫を溺愛した。次ページに続きます】

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