「あなたに合わせて安いところを選んであげていたのに」
ファストフード店で週5日働くうちに、美保子さんは元気を取り戻してきた。最初は仕事が覚えられず、娘ほどの年齢の店長に叱責されて泣いたこともあるが、「ここしか働けないんだ」と踏ん張ったという。淑恵さんとの関係に異変があったのは、働き始めて4か月目のことだ。
「淑恵さんが言ってきた旅行の日程が、私の出勤日だったんです。その月はどこもダメで、淑恵さんが“どうしてそんなに忙しいの?”と言うので、ファストフードで働いていると伝えると、鼻で“フンッ”と笑ったんです。“ふ~ん”ではなく、明らかに軽蔑してバカにしている感じでした」
淑恵さんに働く理由を聞かれ、お金がないことを話すと驚かれてしまったという。そして淑恵さんは「そんなに困っているなら、言ってくれればよかったのに。あなたに合わせて安めのところを選んであげていたのよ」と続けた。
「すごくバカにされていたんだな……と思いました。前からちょっとした違和感があったのですが、“子供がおらず、コロナ禍中にあっというまに未亡人になった”という人はなかなかいない。あの悲しみがわかるので、気づかないふりをしていたんです。淑恵さんは私が同じ中高一貫校の後輩なので裕福だと思っていたようです。ただ、持っているバッグや服が粗末なので、ちょっと安めのお宿にしたと」
美保子さんは、「じゃあ来月は、淑恵さんの定宿にしましょうよ」と言ったら「1泊15万円だけれど、大丈夫?」と言われたという。いずれも、ケンカ腰ではなく、普通の会話だった。
「そのときに、別の世界の人なんだなと感じたんです。お互いに伴侶を亡くして、深い悲しみを抱えているのは同じなので気付きませんでしたが、いろんなことが違う。私は旅行に行くと現地で安い野菜を買い、漬物にしたりソースやジャムを作って楽しむタイプですが、淑恵さんは現地の最高級のレストランに行く人なんです」
美保子さんは「幸せを、自分で生み出す人」だが、淑恵さんは幸せを「金を出して買う人」なのだ。そこが大きな違いだろう。
「夫婦関係もそうだったかもしれません。私は主人にお金がなくても2人で生きていれば何とかなるだろうと思っていました。実は、主人が広告代理店に勤めていたときは24時間仕事をしているような状態で、クライアントさんに呼び出されれば夜中でもすっ飛んでいったんです。それで体調が悪くなっていった。そのとき、主人に“仕事を辞めて、2人で屋台を作ってラーメンを売ろう”って提案。そのとき主人は大笑いした後、ありがとうって泣いていました。独立しても半年間は収入がなくて、私のパート代と貯金で食いつないで……若かったですよね。安定した収入よりも、主人がいきいきとしてくれる方が大切だったんです。今も生きてくれればよかったのに」
平穏な日のありがたさ、昨日がそのまま今日に続いていく幸せの貴重さは、伴侶を失ってからわかる。その悲しみを共有する美保子さんと淑恵さんは来月も旅行に行くという。
「1泊15万円は無理なので、7万円のお宿にしてもらいました」
この旅が二人の最後の旅になるかどうか聞いたところ、美保子さんは「それはないですよ」と答えた。それはやはり、コロナ禍にろくに見舞いもできず、最愛の夫が死んでしまった悲しみが深く、それを共有できる人がいないから。ただ、軽蔑されていることを知った美保子さんが、どのように淑恵さんと接するか。また、幸せを生産できる人と、消費しないと得られない人では、大きな差が生まれてくるだろう。
コロナ禍以降「グリーフケア(死別の悲しみを抱える遺族を支援すること)」が注目されている。コロナ禍中、遺体に接することもなく、大切な人が骨になってしまい、死を受け入れられない人の心の傷が深いこともあるだろう。これから多死社会を迎える。そのために残された人は何をどうすべきなのか、真剣に考えるタイミングは今なのかもしれない。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。